5年前の今日

僕は君に恋をする(初回生産限定盤)(DVD付)

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能動的三分間

能動的三分間

私の新作小説「ゾンビの遅い夕食」が、「東海の文芸」紙上の小説に酷似していたという話。
しかし、印刷所に出すまえに読んでいたとしたら、これはこれで困ったことになっただろう。
修正のしようがあるのか。
タイトルくらいは簡単に変えられるが、文学フリマのカタログにもうタイトルを出してしまっていることもある。
私の小説の冒頭、渋谷で待ち合わせをする(厳密にいえば待ち合わせに見せかけるのだが)これは「1Q84」とも似る構図だ。
早稲田文学用のもう1本の小説「がいこつのまち」は、「1Q84」のはじまりのタクシーにはからずも似て、自家用車の後部座席からはじまる。
こっちのほうを同人誌に載せる案もあるが、清水良典先生が9月の「東海の文芸」で凡庸な青春小説を批判していて、まさに「がいこつのまち」は大学の映画研究会を舞台にした青春小説そのものであったから、こちらもひかえることになってしまうか。
だから小説というのはおしなべ、なんでも似たようなことになってしまうのか。
同人誌作家と村上春樹に似た設定の小説……
凡庸な気がしますね。
でも渋谷でゾンビも、渋谷で待ち合わせも、タクシーや自家用車も、都会の野生動物も、どれもありきたりな設定だ。
こういう見た目にとらわれないほうがいいだろう。
だが、今後もうちょっと気をつけて話を書こうとかなとおもう。

2004年11月26日(金)
これが前身の「Goroの日記」をはじめた日だ。
いま書いているのは、2009年7月31日から書きだした続編にあたる。
前身の日記はしばらく「Goroの日記」で検索すると、ページランクで上位にあったが、いまはどこかにいってしまったようだ。
ミュージックステーションにサザンと平井堅東京事変が出ていたのを書いたのがすべてのはじまりだった。
12月4日(土)で切れた日記。
1日休みを挟んで、8日間の日記。
哀しい思い出です。
ページビューが4808でした。
なぜか増え続けているけどだれか読んでいるんでしょうか。
トラックバックスパムメールでいっぱいですけど。
このいまの日記もだれか読んでいるのでしょうか。
ページビューは毎日平均すると100くらいずつ増えているようですけど。
カウンターの機能をやめてしまったので。
12月5日。
ついに体調に急激な異変を起こす。
そして5年後の12月5日。
シマウマ書房で清水良典氏、墨谷渉氏、広小路尚祈氏の鼎談がある。
翌日には文学フリマがある。
ミクシィでランショが知り合ったテクノさんという方の誕生日でもある。
運命を感じちゃいます。
でもシマウマ書房からはなんの連絡もない。
メールで定員30名の予約をしたのだが。
先着なのか抽選なのか。
電話にすればよかったか。
おととしくらいの諏訪哲史の講演会予約のメールを送ったとき、完全に無視されて行かなかったこともあったけど。
いろいろ先方の事情が変わっていたらしいけど。
料金とかメールでの受付の必須事項とかが、はじめの告知と変わっていた。


同人誌製作を終えて、一休みしている。
しかし1箇所気になっているところがある。
それは「現代文学とロスジェネ論壇!?」の一文。


阿部・中原・福永とともに佐藤で極まった作風は、前述三氏も含めての、新しい極私的な文学創造のはじまりのように思える。もちろん欠点ばかりではあるが。


この最後の≪欠点ばかり≫というのが問題だ。
これはここであげた小説家の作品が欠点ばかりということではない。
≪新しい極私的な文学創造のはじまり≫が欠点ばかりということをいいたいのだが。
でも≪前述三氏も含め≫といっちゃっているし、文学創造からみると三氏の小説はいまだ要件に達していないという、えらく高飛車な物言いになっていることになるだろうな。
これからますます新しい小説に向けて、阿部・中原・福永・佐藤から目が離せないといいたいんです。
中原さんは断筆してますけど。
欠点ばかりというのを修正液で消そうか。
もっと新しい文学が広まればいいとおもっているんです。
アマチュア作家がどんどん増えればいいと。
いまだプロの作家たちに頼っている現実が、欠点ばかりだといいたいのか。
まだまだこれからということです。