私は作家になれない

ロンバルディア遠景

ロンバルディア遠景

24日に出したプリントナカさんという印刷所が営業をもうしていないと、きのうケータイに連絡がありました。
2004年からはじめた同人誌をつくるのにさいし、こちらの不手際にもよく付き合ってもらって迷惑ばかりかけましたが、残念です。
最初は1995年にゲームの同人誌を出したときに利用したのだった。
急きょ、新しい印刷所をさがすことに。
ネットでいろいろ調べてプリン・プリントさんという名古屋の印刷所になんとかたどりついた。
のぞみセットという3万くらいする高速の申し込みにして、急いで郵便局に入金した。
メグリアにも寄って万が一のため、インクを買う。
家にもどり冷静に見たら、通常のコースでも間に合うことが判った。
東京の兄のアパートへ宅急便で印刷所から直に送ってもらうことにした。
完成品が一番に見られないというわけだ。
過不足金は次のときまでにプールできるそうなので、そうしようとおもう。
せっかくなので気になっているところを訂正した。
26日の日記にも書いた”欠点”の部分も修正した。
小説を頭から推敲し直してみるとゴロゴロ誤字脱字がでてきた。
あまりの多さに閉口。
1ページに1箇所は必ずあるというぐあいで、しらみつぶしにやっていく。
深夜の3時くらいまでかけてようやく終わる。
へとへとだ。
充実感なんてあったものではない。
ただ不快な疲労が身体を支配している。
こういう仕上げ段階でつくづく自分は作家に向いていないと判る。
”目”と”眼”の誤用に気がまだあったが、もう一度読むのはほんとにやだったので寝る。
日曜日の午前中にクロネコのセンターに持っていけば、プリン・プリントさんの入稿期限である月曜日の午前中に着くのだが、せっかくきのういつも決まっている睡眠時間を押してまで推敲したのもあり、万全をきするのもあり、午後母に出しにもらいに頼んだ。
しかしこれが後悔の始まりで、母が外出してすぐに、新しく書きくわえた箇所の”め”が、統一していた”眼”ではなく”目”ではなかったかと気づく。
母はケータイを持っておらず、もう自転車で行ってしまった。
私は車が運転できない。
なので追いかけるのは諦めて、パソコンで問題の箇所を確かめるとやはり”目”になっていた。
疲労感とショックと自分に対する失望感に包まれた。
みちまろさんたちやキトウ氏に見せるからなんとか誤字脱字は防ごうと、ハプニングから起きたチャンスをものにしようとおもったのだが、またしてもケアレスミスを犯してしまった。
みちまろさんたちなんかはサークルのみんなで誤字脱字ゼロに細心の注意を払って心血を注いでいるというのに、私ときたら。
無念です。
気になっていただけに。
泣きながら図書館へ本を継続しに行きました。
みちすがら周りの眼を気にせず、ブツブツ愚痴をいいながら歩いた。
でもべつにそんな小さなミスどうでもいいのでは、といまは考えています。
母にさんざん愚痴って気が晴れたのかもしれませんし、別段傑作でもないので、はなからなにかの賞にノミネートされることはないだろうかと。
本番は早稲田文学や群像ということでいい予行練習ができたとおもえばそれでいいのではないかと。


あと私の小説にまつわるたび重なる偶然の話のつづきとして、諏訪哲史朝日新聞のエッセイ「スワ氏文集」があった。
諏訪さんはそこで、おりたたみ傘の柄の部分をしまうさいに、へそにあてて縮めるそうだが、それが三島由紀夫の割腹自殺と似るという話をしていた。
私の小説では、主人公がおりたたみ傘をもっており、物語のなかで重要なアイテムとして役割がある。
まあそれだけだが、11月9日に諏訪さんにあったばかりなのでなおさら気になったのでした。
これも影響をもろに受けたとおもわれるといけないので、はやく清水良典先生へ小説を送ろうとおもいます。
兄のところでストップしますけど。