ライヴァルとしての阿部・中原

社会は存在しない――セカイ系文化論

社会は存在しない――セカイ系文化論

亀ノ頭のスープ―河出文庫版

亀ノ頭のスープ―河出文庫版

阿部和重中原昌也より、ひいでている点はなんだろう。
大江健三郎村上春樹を、もっとB級の雑食的にしたのが両氏なら、彼らの次に打って出るとしたらZ級なものになるしかないのか。
映画の知識も、音楽の知識も、もちろん文学の知識も到底及ばない彼らにいったいいかに対抗していけばいいのか、まったく判らない。
テレビやファミコン、J‐POP、日本現代文学、自主映画、同人雑誌、サークル、地方、人生体験、非モテ、非リア充などか。
でも阿部さんは漫画やアイドルにも詳しいし、芸術映画も大江・村上より観ているだろう。
中原さんも海外文学や洋楽はとても詳しいし、到底おっつけない。
セゾン系の彼らには勝てないのか。
西武ライオンズに勝てない中日ドラゴンズみたいに。
世界に出ても恥ずかしくないような知識とはなんだろうか。
40までのたかだか6年間で巻き返しはきかないか。
エピゴーネンではない、新しい地平を拓くためには、あまりに巨大な両氏。
それを超えて見せたのが、舞城王太郎佐藤友哉岡田利規や前田司郎、川上未映子円城塔諏訪哲史谷崎由依磯崎憲一郎などの異ジャンルからデヴューした猛者どもだろうか。
たしかに阿部・中原の呪縛なんてまったく気にしてない素振りで快作を放っている。
ミステリー、演劇、歌手、SF、哲学、海外小説。
お次はファンタジーか。
なにか自分の道を作らないと好きな作家の後追いで終わってしまう。
しかし、自分のことを考えすぎるといけないと、夜回り先生水谷修スーザン・ソンタグが言っていた。
自分のことは自分では判らないのだろうか。
客観的視点など得られないのか。
メタレヴェルを殺す必要性があるのか。
モナドになるべきか。
モナドには窓はない!
山本モナド。
私にはいったいぜんたいなにがあるんだろう。
だれか教えてくれませんか。


「新潮」(2005・6)の村上春樹「日々移動する腎臓のかたちをした石」読了。
ヘテロのお話です。
「社会は存在しない」所収、岡和田晃氏「青木淳悟ネオリベ時代の新しい小説(ヌーヴォー・ロマン)」読了。
大変参考になりました。


長い時間をかけて発酵させるしかない。
根本敬もそう言っていたような。
そういえば、ビートたけしさんは根本敬を知らず、浅草キッドに教えられていた。
ネモト・ケイって誰? と言ってました。