「ふとももの女」再始動


過去の書き出しに手を入れていた「ふたつの夢」放擲。
どうしても書き出しでつまずく。
しょうがないので、去年ロスジェネに投稿し不採用だった「ふとももの女」を時系列に直して、加筆することにする。
原稿用紙12枚くらいの作品。
これを30枚にはふくらませたい。
しかしほんと小説が書けなくなった。
どうしよう。
もうネタ切れなのか。
根本的に作り方を変えたほうがいいのか。
潮時か。
なんとか誤魔化してやるしかない。
ストリートノベル大賞に落選した「あたま」をネット公開しようか。
過去の作品に頼るしかない、惨憺たる状況。
きのうの「わたしが子どもだったころ」冨野由悠季。
自分では謙遜していたが十分うまい絵の数々。
なんでも挑戦することが大切だ。
勉強ができなくてもプロの技術者になれなくてもいろんなおもいもよらない道が開ける。
パソコン作業しながら観ていたので抜け落ちていたシーンがいくつかあったが。
中1の月世界旅行の研究発表がすごかった。
子供時代にやっていたこと、かんがえていたことをおとなになっても忘れずに抱き続けることの重要性。
断ち切ってしまうのではなくて。
繋がっている感覚をもつ。
そこにいくつもヒントがある。
私も漫画雑誌を作っていた。
その延長線上にいまの同人誌がある。
もっと楽しんで取り組もう。
でも凡庸なものしか作れない。
でもいつか阿部和重みたいな小説が書けないかな。
精進するかしかない。
トレーニングを続けるしか。
あしたの夕刊に東海の文芸があるかな。
すこしでも触れてもらえるとうれしいのだが。
そう簡単じゃないか。
初めがうまくいきすぎていたのか。
死の病・アガタもあす届くか。
ブリグリのlike yesterdayもあす入荷。
ちょっとまえに平成22年2月22日午後2時22分を越えた。
記念切手が出てるよう。
切手収集が趣味のシャラポワは欲しいのか。
しかし阿部さんと同じものを書いていてもしょうがない。
阿部さんの小説に私小説の要素ともっとヌーヴォーロマン的テイストを足したものを書こう。
それはもう阿部さんがやっているか。
阿部さんが書く歯車みたいなものか。
大江健三郎に阿部さんが認められる日がはやく来ないかなあ。
ピストルズ大江賞を獲るか。
話は変わって、私が生まれた100年前にトーマス・マンが生まれている。
兄が生まれた100年前はプルースト生誕。
日露戦争100年後に同人誌を創刊。
100年前のモダニティの時代を知るといまがより判るかも。
カフカとかジョイスとか志賀直哉とか。