好きという表現が通じないので困っている

不可能

不可能

BRUTUS (ブルータス) 2011年 9/15号 [雑誌]

BRUTUS (ブルータス) 2011年 9/15号 [雑誌]

強迫観念ばかりで、素直に好きと言える感情が伝えられない。
相対的には通じるだろうが、絶対的には通じない。
拒絶だけ。
根本的なところで、他人に興味がないのか。
ただ自分から働きかけて、リードすることができないだけか。
受信は可能だが、発信が無理なのだろう。
このような、自分と現実の関係を変えたいために、小説を書いている気がする。
映画を撮っていたころは、意志表示が過剰なトラブルになるだけだった。
他者とは関わらない小説のほうがいいのか。
規範を好き嫌いの判断基準でほぐして、囚われないようにすること。
その価値判断ができず、決まり切った反発と遵守を繰り返しているのか。
小説でこれを崩したい。
       *
きのうは、夕方、書苑イケダに。
文芸誌を買うため。
『アンアン』の「村上ラヂオ」と星占いを立ち読みし、更科修一郎『批評のジェノサイズ』を横目で確認し、『不可能』を発見。
『群像』連載で持っているが、田舎の本屋に存在していることが嬉しくて購入。
『ブルータス』「恋の、答え。」も火曜日メグリアで見つけたけど、買うならいつ潰れるか判らないイケダで、と決めていたので購入。
きょうは昼に『「赤」の誘惑』が大阪の天牛書店より着。
緩衝材のなか、丁寧に紙で包んであった。
しおりもついている。
『新潮』連載かと思ったら、「赤の擁護」という章だけが2006・8掲載だった。
残りの大部分は同じ新潮社の『考える人』に載っていた模様。
川上未映子の読者モニター、ほぼ10日で原稿用紙450枚を読まないといけない計算。
よく考えもせず軽い気持ちで決めてしまった自分が悪く、いまさらなんだが、お願いだから、はずれてほしい。
きょうの朝日新聞夕刊の「終わりと始まり」池澤夏樹
ツリー・オブ・ライフ』を取りあげていた。
川端康成にも「生命の樹」という作品があるようだが。
池澤さんによると、エデンの園に生命の木が生えているとか。
ドゥ・マゴ賞を『赤の他人の瓜二つ』の磯崎憲一郎が受賞。
選考委員は辻原登
どちらも好きではありません。