『シルビアのいる街で』(2007)鑑賞

シルビアのいる街で BD [Blu-ray]

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<帝国> グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性

<帝国> グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性

志は共感できるんだけどなあ。
男がホテルから出てくるときの通行人の映像はどれも怖ろしく感動的だったが、だんだん力が弱まってしまう。
蓮實重彦ビクトル・エリセが好きな人は観ないといけないとの檄文をネットで公開したようだが、エリセより蓮實さんが嫌いなアルモドバルを観ている自分には高尚過ぎて判らなかったのか。
これは蓮實さんが選考委員のワセブン新人賞も趣味が違って期待できそうにない。
だが、先月読み終えた、『早稲田文学復刊1号』の蓮實さんのインタビュー「批評の断念/断念としての批評」では、自分の小説と似通った主張があり、彼が朝日新聞で選考委員就任の意気ごみを語ったとき、蓮實さん自身とは遠いものを望む、みたいなことが書かれていたから、アルモドバルの面と相殺されて、まったく平凡な結果に終わりそうだ。
映画に話を戻すと、他者からの否定をどう受け止めるかという、映像の感覚的面白さより、理知的なテーマのほうが気になった。
これは『市民ケーン』『黄金時代』『インディアナ・ソング』『千と千尋の神隠し』など面々と連なる映画の大主題のような。
自分の思い込みを無下もなく拒絶されるというのは新人賞で落とされることにも繋がるが、これはもうあきらめず前に進むしかないのかなあ。
怒りなさい、行動しなさい、そして自分たちで決めなさい、とはアントニオ・ネグリの言葉だが。
同人誌創刊も文芸誌の落選の怒りから生まれたようなもんだ。
メルキドマルチチュードだったのか。
その点、映画の主人公は怒ったのだろうか。
あまりに感傷的なラストが感動を弱めた原因なのかもしれない。
文芸誌や蓮實さんみたいな権威からはもうなにも生まれないのかも。
       *
きょうは美容院へ。
ついでに寄った書店では欲しい新刊が1冊もなかった。