同人誌の表紙が完成

グレート・ギャッツビー (光文社古典新訳文庫)

グレート・ギャッツビー (光文社古典新訳文庫)

眼球綺譚 ―COMICS― (角川文庫)

眼球綺譚 ―COMICS― (角川文庫)

わたしが、むかし書いた自画像に兄が新聞記事をコラージュして、メルキド7号の表紙が出来あがりました。
当初は4枚描いたクレヨン画を縮小コピーして4分割する予定でしたが、きのうの夜、即興的に決まりました。
兄は傑作と言っとります。
私はどういう反応をみなさんがするか気になりましたけど。
文学フリマで去年は最新号は6冊売れました。
ことしも5冊以上を目標にしていきたいです。
模索舎では6号は3冊売れ、また5冊5月に補充しました。
いまここで通販しようとするとエラーになっちゃうので、どうなっているのかわかりません。
まさか完売しているとは思いませんが。
そういえば水曜日に失念した村上ラヂオの一言を思い出しました。
トイレのレバーの大小を強弱に出来ないか、というのでした。
孫正義カンブリア宮殿でいいこと言ってましたね。
志高く。
夢を大きく描く。
情熱の努力で。
綿矢りさの勝手のふるえてろを読むと、たしかに孫さんみたいな猛烈努力型もそこそこほどほど型もいまの日本には適してないと感じる。
足らざるを知り、いまを最大限に愛すること。
でも、そこに限界までの志や夢、努力はかっこ悪くても必要なのかも。
1Q84で青豆が好きな禿げたかけた男って孫さんはどうなんでしょうね。
きょうは夕方、メグリアに行こう。
随想があるかな。
村上春樹は典型的なアメリカ小説として、白鯨、グレートギャッツビー、ライ麦畑でつかまえて、を挙げているとか。
テレビ東京系で放送した池上彰の戦争を考えるで長谷川京子が旧ユーゴスラヴィア(違ったけ?)を訪れて、家族をうしなった母たちがなくなったひとの写真を見せ、いまだ傷がまったく癒えていない心情を吐露していたのを見て、彼女らは愛するひとを失ったが、それでも愛し続けている、世界に大切なひとを殺されたが、そんな世界にとどまり愛を貫いている、これはある意味、戦争に抵抗し、地獄の責め苦に耐えながら、この世に天国を作ろうとしている戦いなのではないか、と視聴後大分経ったいま、そう感じた。
文藝10・秋の高橋源一郎東浩紀の対談を読んで話が繋がったような。
ユーストリ―ムでも観たけど、再度、紙で読むのもいい。
大江賞に行ったあと、群像の対談を読むような。
そんなことをクンデラや春樹の小説と合わせて評論に書こうかと思っている。
あくまでこの両者には批判的にならざるおえないが。
きのうの徹子の部屋山本晋也の娘さんの漫画が紹介されていた。
眼球奇譚だっけ。
徹子さんは綾辻行人バタイユ眼球譚を知らんのかな。
水曜日のテレビでフランス語ではエリュアールとガラについて取り上げていた。
このガラという女性はダリの奥さんでもあったひとのことなのか。
知花くららは知らんのかな。
日本自費出版文化賞、メルキド6号落選。
641作品応募があったそうです。
評論はエントリーしなかった。
ゾンビの遅い夕食、太宰賞にでも送ろうか。
あれじゃあ、だめか。
評価を落とすだけのことか。
やめとこう。
ワセブンもやめて同人一本にしようかな。
蓮實重彦のおめがねにかなうこともないだろうし。
まあ、いいか。
落ちたら、ネットで発表すりゃあ。
そういうことで、きょうはこれにて。