大企業に投稿しないで小説家を目指す

ハリー・ポッターと炎のゴブレット 通常版 [DVD]

ハリー・ポッターと炎のゴブレット 通常版 [DVD]

金曜日は20世紀少年最終章 僕らの旗、土曜日はハリーポッターと炎のゴブレットを観る。
かわりに熱海の捜査官松井冬子のTR、ライムスターのソングライターズ、JCDを観逃し。
1Q84 BOOK2もあまり読めず、小説や評論は一切書けませんでした。
しかし評論で音楽性や単独性、個別性などのいいアイディアがひらめきました。
きのうは図書館に行ってきました。
行き、書かれない報告を読む。
病院で診断書を頼んだときか、血液検査の結果が出たときにも、本書を読んでいたような。
普通の生活というものがとても奇異にうつってくるから、不思議な小説だ。
そう変なことは書いてないのに。
駅の通路でサリマーマン風の男性が多色ペンを落としたので拾って届けた。
24時間テレビの募金に100円を出す。
3ページくらいしか読まなかった、嘔吐とカンペ―タンズゴシックを返却。
後藤明生のと父の墓は継続。
新しく、野生の探偵たち上巻、ゴーレム100を借りる。
読書人、図書新聞を立ち読み。
文芸同人誌評のなまずについての手記、松原慶子のみじんこ雑記がおもしろそうだった。
図書新聞には松原勝の従軍慰安婦の話が載っていた。
6階で毎日新聞2009年9月17日の縮刷版をコピー。
村上春樹のBOOK3発行決定にかけてのインタビュー。
ネットで削除されちゃったから。
朝日のアフターダークの記事も聞蔵(データベース)から消去されているようだし。
むかし閉架の6階サ行に残雪の河出世界文学全集があると検索機で出てきて、6階は閲覧室で倉庫なんてないじゃんと、中国の友人に疑問を投げかけていたが、よく考えたらフロアの半分のところで壁があるから、そのさきが閉架なんだなあ。
阿部和重中原昌也の本を図書で検索したときも、本がぜんぜんなくて驚愕して、中国の友人に嘆いたことがあったが、それは書名欄に著者名を入力したというミスからきていることをそのことについて小説を書いているうちに気づいたが、ネタばらしはしなかった、シュガロンの神経衰弱という小説でしたけど。
帰りにアンアンを立ち読みしていないことにハッとするが月曜日か火曜に書苑イケダに行こうと思った。
存在の耐えられない軽さの英訳本を買おうかともしたが自重。
       *
文学フリマのキーワードでポストモダンというところをポストモダン文学にすることにしました。
フランスの現代思想はアメリカのポストモダン文学を黙殺してたのかなあ。
フランスのエクリチュールとアメリカの物語。
米のポスト文学は文章がダメなんすかね。
でもフランスのも読めない。
どちらもやばいのか。
安部礼司なう。
80・90年代懐メロの走りはこの番組なのか。
そういえばいつからテレビの不穏当発言でピーを入れるのが減ってるのかなあ。
あれもはやりすたりか。
小説家志望→オルタナ流通の作家→群像・すばる路線→大企業に投稿しない
これが最近のモチベーション変遷。
こころのなかでいつも唱えてます。
阿部さんのピストルズ谷崎賞受賞で大江賞は無理か。
残念至極。
もう大家になっちゃたから大江賞はダメっぽい。
でもいつかふたりの対談が実現されないかなあ。
ノーベル文学賞授章者対談以外ないか。
なんとか実現しないかなあ。
もっとなんかしないと大江・阿部にはつながれないなあ。
新聞・ブログ・ツイッター・テレビまみれの生活。
子供の頃からファミコンじゃない電子情報環境のある新しい作家がどんどんこれから出てくるのか。
私は完全に時代の最後尾。
それでいいか。
プロの作家になれんでもいいから、なんか文化に関心を持ち続け、できることならひとよりよく知っているものになりたい。
よく知っている必要はないか。
知らいないことを知っているひと。
足るを知る。
自分なりの地図を作りたい。
それでいい。
それだけで。