駄目ないまをどれだけ愛することができるだろう

ドゥルーズ KAWADE道の手帖

ドゥルーズ KAWADE道の手帖

悪徳の栄え〈上〉 (河出文庫)

悪徳の栄え〈上〉 (河出文庫)

文学フリマのカタログに載せるキーワードの3つをきのうと変更した。
といっても1つだけで、私小説・ヌーヴォーロマンポストモダンとした。
評論をポストモダンにしただけ。
ポストモダンの文学とは中国の友人もいっていた通り、なにかとなにかを混ぜることで、具体的にはポール・オ―スターなら純文学と探偵小説、カート・ヴォネガットなら純文学とSFとなる、とのことをウィキペディアで知った。
だからキーワードの私小説とヌーヴォーロマンを足すとポストモダンになるということで、この言葉を締めに使うことにした。
でも、これだと真面目すぎるというか、ゴリゴリの純文学になってしまうような危惧もある。
朝吹真理子のきことわみたいにはなりたくない。
かといって舞城王太郎にも。
なんだかなあ。
答えは12月5日の文学フリマでお買い求めください。
以上、宣伝でした。
       *
いま書いている創元向けの小説は純文学とアニメを組み合わせているようなもんなのか。
ヌーヴォーロマンポストモダンもほとんど読まない。
文体を鍛えたいなら日本近代文学を読んだほうがいいか。
大江健三郎とかも。
もともとがテレビとゲームで育っているから硬派な節くれだった文体は書けません。
だから逆にヌーヴォーに憧れるのかもしれない。
だから創元の小説も設定と説明、あと物語だけじゃなくて描写もしたい。
なんとかして個人や構造の統一性・階層性を壊したい。
そのための私小説とヌーヴォーの合体。
アニメのことを書くのはある意味自分にとっては、案外、私小説的なことなのかも。
それをヌーヴォーで書き変えていく。
このやりかたが必要か。
モロイをまた読むか。
ドゥルーズ 没後10年、入門のために、をさっきちょっと読んだ。
松本潤一郎器官なき身体のところ。
この造語はアルトーが考えたのか。
人間の諸器官は欲望の生産と敵対している。
これを壊し、器官を平等にすることで統一性から逃れ、存在の一義牲を得るとか。
       *
きょう、スタジオパーク高橋源一郎
結婚が5回か。
源ちゃんみたいなすごい小説は書けなくても、創作を続けていけたらいい。
あんな物知りのアラカンになりたい。
そしてあれだけひとを愛せるように。
自分の人生を客観視して物語みたいと楽観する姿勢もよかった。
ツイッターではカントを読んでいるっていってたな。
永遠平和のために、か。
37才で三島賞か。
若いころ読んでいた小説や詩の話をしてほしかったなあ。
肉体労働してたのか。
講談社文芸文庫の年譜によると12才で悪徳の栄えを読んだそうだけど。
2回の家族解散
父親はベレー帽をかぶり絵を描いていたと朝日の「おやじのせなか」という記事でいっていたような。
ツイッターで読んでいた生活を子供やゼミ生の写真でだいぶ補完された。
創元向けの小説はもろ源ちゃんの影響大。
源ちゃんみたいに物語の構造からなんとか抜け出したいんだが。
かれのポップさとは違うが、描写で突き崩す物語のむくろ。
       *
ああ、ロミオ、なんであなたはロミオなの。
メルキド7号の短篇がいこつのまちは、もろ、けいおんを純文学にした感じです。
書いているときはまったく意識していなかったが。
軽音部じゃなく映研で、女子高ではなく大学ですけど。
よろしくお願いします。
では。