現実より自分より

小説、世界の奏でる音楽

小説、世界の奏でる音楽

きのうは大手出版社への放言をしてしまい失礼しました。
自分のほうが阿呆なのを棚に上げ、好き放題言ってしまいました。
深く反省しております。
みなさん、ほんとうにがんばっていらっしゃいますもんね。
情熱を切らさずに。
ねたみでした。
現実より自分より秀でるものが創られずにモンモンとしていたもので。
偉大な小説はつねにその作者よりもすこしばかり聡明であること―クンデラ
彼ら(死の家の記録の登場人物)は作者より大きい、つまり計り知れない―保坂和志
自分は阿呆ですが、より阿呆なものしか創られません。
このかなしさ。
ちっぽけな自分さえも超えられない。
おのれを過大評価し過ぎて、超えられないわけではない。
クンデラさんや保坂さんが自己を過小評価しているのかもしれんが。
自身のなかでどうしても合点がいかない。
自己評価は最低だ。
創作については。
本とかテレビを観ているとそれなりに自己肯定は出来るけど。
おのれの創造物では満足がいかない。
だから悪循環で大手の編集部にさえ認められたらと自己を見失う結果になり、きのうの暴言へと反動的につながる。
哀しいなあ。
自己肯定のためにはじめたはずの創作がいつのまにか自己否定の温床になっているというからくり。
むごたらしいなあ。
もう創作はやめにしてただの読者に戻るか。
しかしこれがやめられない。
どうしても物足りなくなる。
ほかにすることがないといういい暇潰しの側面もある。
きのうは世界史の構造の序文だけをようやく読み終えました。
資本=ネーション=ステートから逃れるための世界同時革命
社会主義は資本などを維持させる最後の手段でしかないとか。
資本をなくしても共同体と国家はなくせないからいかんとか。
革命は1国だけではだめで世界同時でないと意味がないとか。
あまり群像新人文学賞とか早稲田文学新人賞とか考えないで、身近なひとたちに向けて小説を書くか。
もちろんいまだ見ぬ同志たちにも思考をめぐらすとして。
とりあえずは自信なさげな自分を奮い立たせないと。
そのためにはあまりにもみじめな頭んなかをどうにかせんとな。
うーむ。
どないしよ。
まったく妙案が閃かない。
きょうはこれ以上は無理です。
さようなら。
ヴァインランドを70ページまで読みました……