オーソン・ウェルズ「審判」

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帰り際、図書館でオーソン・ウェルズのデヴュー作「審判」(1963年。カフカ原作)を観ました。
ほとんで寝てしまいましたが。
「訴訟」も迷ったすえに買わず、旧訳「審判」も冒頭と結末しか読んでません。
ヨーゼフ・Kがアンソニー・パーキンスだから善良な市民にはおもえず、発狂したひとなんじゃないかと勘ぐってしまう。
女優陣のエロスが半端ないね。
映像的には職場の「未来世紀ブラジル」風の雰囲気や「ファイト・クラブ」みたいな法廷、それと職場と法廷をつなぐ木の廊下とかが迫力がある。
カット割りも終わりにかけてのたたみかけが秀逸。
最後、原作ではナイフで喉をかっ切られて絶命するが、映画ではダイナマイトで爆破。
爆笑ものだったなあ。
中身は原作とだいぶ違うようだ。
こんどはストローブ&ユイレの「アメリカ」を観ようか。


笑い地獄と戯作三昧・一塊の土を閉架から出して借りる。
かれらと喪の日記は継続。
金閣寺を10ページ以上読む。
主人公溝口は3月19日生まれ。
ちょうど誕生日の記述を読んでいるとき、きょうが母の誕生日であることに気づく。
ささやかなお祝いの言葉をかけました。
いつもありがとうございます。
図書で吉行淳之介のスーパースターをコピー。
60円なり。
まえにもしたな。
全集のコーナーに後藤明生の日本近代文学との戦いが1冊だけあり奇妙だった。
へとへとに疲れる。
電車に一足遅れで乗れず。
フォームでホットココアを完飲。
ビーグル犬が遠方に見えた。
このフォームで女子学生が自殺したニュースを思い起こす。
この世はくさっとる。
厳しい世界だなあ。
社会とまともに関わらないほうが身のためだ。


それにしても自分に才能がないことを痛感した。
なんか小説を書くのがむかしと較べうまくなっていると勘違いしていたようだ。
まだ書き始めたばかりというような状態に近い。
映画もうまく撮れなかったしなあ。
売れなくても歌手としてデヴューは出来た川上未映子とは違うわけだ。
川上さんも小説は素人同然にも関わらずあれだけ書けたのは詩作をしていたからか。
映画の蓄積がうまく機能しているようにもおもえず、また私小説を書いている。
そこにしか依拠するものがないのか。
圧倒的な読書体験がない分、人生経験に頼って想像力をダメにしている。
はじめて自覚的に小説を書いたのは17才。
それから自主映画に流れ、27才で小説を本格的に取り組み始める。
そもそもが小説に関して遅咲きなのだ。
小説転向から8年が過ぎた。
同人誌やリトルマガジンでは多少足あとを残せたが、大手新人賞ではまったくの無名。
19才のときに1度、22才のときに1度、28才のときに2度、文芸誌に投稿したがすべて落選。
その後、文芸誌2度、同人誌関連3度挑戦してひとつ一次選考通過であとは予選敗戦。
0勝8敗1分け。
つぎが10回目か。
作品でいうと同人誌関連が重複しているからつぎが9作目。
小説転向2002年以降では区切りの7作目だ。
3月末日締め切りの日本自費出版文化賞とすばる文学賞か。
しかし、まず賞よりもどんな作品をあとひと月以内で仕上げるか。
目標としてははっきりしてきたのであとは帳尻合わせ。
とりあえず卑屈にならずに、自分のレヴェルをはかってみます。