冬の図書館

ロラン・バルト 喪の日記

ロラン・バルト 喪の日記

なぜ、すべてがすでに消滅しなかったのか

なぜ、すべてがすでに消滅しなかったのか

きょう、兄と一緒に図書館へ行ってきました。
寒かった。
タンブラー忘れた。
兄はおしるこ、私はゆずレモンを駅の自販機で購入。
あまりに寒いのでプラットフォームではなく、地階で風をしのぐ。
いつもは通り過ぎるだけの看板を念入りに見て時間をつぶす。
豊田市駅でポケットティッシュをもらう。
かれら、空の怪物アグイーを継続。
兄がバルトの喪の日記をみつける。
まえは検索機でさがしてもなかった。
新着棚にあった。
なぜ、すべてがすでに消滅しなかったのか(ボードリヤール)、同じ時のなかで(ソンタグ)はない。
私にとっての20世紀(加藤周一)は2冊とも貸し出し中。
ブルータスはバックナンバーが1冊もない。
読書人、図書新聞三田文学をチェック。
これから中央公論は買わずにコピーしようか。
朝日の09・12・25朝刊13面の記事をA3、2枚、20円でコピー。
ネットとメディアのオピニオン。
ユリイカタランティーノ特集での陣野俊史の記事もコピー。
中原昌也タランティーノについての評論。
40円。
結局、喪の日記だけ新たに借りて退却。
帰り際に松坂屋未来屋書店へ。
アンアン見当たらず。
桜井翔のヌードが載っているからか。
兄が滝クリが表紙の女性誌を購入。
文庫の未整理棚にグランドフィナーレ、熊の敷石、花腐し、1000の小説とバックベアード、夜は短し歩けよ乙女、ランボー全詩集などがある。
なぜか、私たちに許された特別な時間の終わりが4冊くらいズ抜けてあった。
バングラデシュの募金に100円寄付。
兄は300円。
そういえば来る前に、ヴィデオでクローズアップ現代を観たのだが、そこで助けをいえない30代という切実なテーマがあり、平野啓一郎が寄付金について熱く語っていた。
海外の寄付は私もたまにするが、国内では24時間テレビや地震のときくらいで、恒常的なホームレスや日本で苦しんでいるひとへの寄付はしていない。


記憶とは、混沌に対して神が我々に与えてくれた唯一の武器だ(「エクスタシーの湖」スティーヴ・エリクソン)


苦しいことを記憶して、行動に移したい。