あっち

一億三千万人のための小説教室 (岩波新書 新赤版 (786))

一億三千万人のための小説教室 (岩波新書 新赤版 (786))

パターン・レコグニション

パターン・レコグニション

きょうは父の70才の誕生日。
5年前に亡くなりましたが。
来年は7回忌かあ。
京本政樹の誕生日でもあるが。
自分の決して娯楽性の高くない、かといって芸術でもない、極私的な小説を保坂和志の影響で時系列に沿ったものに改編したのをきのう読み通し終えた。
まだ、自然描写、感傷性の排除ができていない。
横光利一は通俗小説の定義を、感傷性と偶然性としてが。
手紙のくだりをカットしようとおもう。
保坂さんも手紙と夢の多様を戒めていた。
そうすればすこしはマシになるか。
あまりいいできとはいえないが。
ところどころ肉付けして完成させるか。
自信は一気にしぼんだ。
個人的な小説だが自分で納得はなかなかできない。
保坂和志の誕生日(10月15日)に開かれたパフュームの横浜アリーナ最終日。
そのDVDを観た日に、書きあぐねている人のための小説入門を再度見直して、時間軸を正してみた。
これでよかったんだろうか。
高橋源一郎の一億三千万人のための小説教室では、小説の書き方は自分でみつけるものとあるが。
影響を受けすぎか。
変わった私小説という感じだからなあ。
きのうの佐野元春のザ・ソングライターズ(再放送)
ゲストは小田和正
小田さんは漱石への絶対性が、かれのあっちのほうの趣味があるからというので崩れたそうだが、そんなんでいいんでしょうか。
漱石が不倫していたという話もあるが、それで作品の価値がどうこうなるというのはあるんだろうか。
あっちのほうは罪はないし。
バラードが原爆を肯定しているというのを知ってクラッシュを読むのをやめてしまったことはあったが。
でも小田さんが漱石についてあっちの趣味ともうひとつなんかいっていたとおもうが、日記をつけながら観ていたので聞き逃してしまった。
なんだっけなあ。
そして誰もいなくなった、とか、夜歩く、なんかも読みなおそうかな。
きのう、杜子春をすこし読みなおした。
ガリヴァ旅行記とピノッキオの冒険も本棚から引っ張り出した。
善の研究と探究Ⅰが出てきたから兄に渡した。
新潮(10・2)の円城塔、エクスタシーの湖、書評を読む。
世紀をまたぐ大変さが書かれていた。
ギブソン同様の。
エクスタシーは時系列がバラバラだそうだ。
こういう手の込んだ手法にはあこがれる。
私の文学の出発点は坊っちゃんと鼻・杜子春だからなあ。
子供向けのならほかにもあったけど。
あんまり本をたくさん読むひとじゃなかった。
いまも集中力が持続しないし。
飽きっぽいのか。
薬のせいかも。
難儀なことだ。