きのうは、かしゆかと亀井絵理のバースデイ

「あ、安部礼司~beyond the average~」脚本集SEASON 3

「あ、安部礼司~beyond the average~」脚本集SEASON 3

アブストラクトなゆーわく

アブストラクトなゆーわく

きのう安部礼司SPを聴きながらのこのブログを書いた。
本の収納は、座敷の本棚を新調したらまだ5年はもつかな。
それまでに文芸誌が無料で送られてくるようになりたい。
そうすればこころおきなく処分できそうだし。
自分がノーベル文学賞を獲ったら、阿部和重中原昌也福永信佐藤友哉ら日本現代文学のレヴェルの高さを世界に知らしめたいものだ。
そのためには文芸誌の新人賞をいきなり獲るんじゃなくて、同人誌でしこしこやっていたほうが、のちのち価値がでそうだ。
益川・小林みたいな科学者さんたちのように。
それにしても私の原点は御茶ノ水や水道橋、神保町界隈だ。
17才くらいのころコミケや押井ナイト、えび天イヴェントに行くたびにここらあたりを散策したものだ。
コックピットインの跡地はいまどうなっているのか。
あと蒲田とか。
まさか自分が5年後に蒲田、または7年後浅草なんかに住むとはおもわなかった。
そしてまさか集英社横のビルで働いたり、朝日にメールを送ったり、早稲田文学に原稿を送ったり、文學界に住所が載ったり、講談社に2回入ったりするとも夢にもおもわなかった。
人生に無駄はないのか。
前身のフジテレビや日テレ、テレビ朝日なんかにもいった。
兄に金魚のフンのようについてまわって。
ああいうのがいいともにダメ出しの手紙を送ったり、ヤングシナリオ大賞に送るきっかけになり、いまのブログや小説投稿につながっているのか。
それにしてもいまもむかしも創作を趣味でやっているが、七転八倒いろいろ苦汁をなめてきた。
煮え湯を飲まされてきた。
自業自得の。
はじめの投稿は17才のときのソードワールドのシナリオコンクール。
つぎに投稿したのは18才のとき、NHKラジオドラマの脚本だった。
19になってはじめて小説を投稿したのは中央公論新人賞。
そのごはは映画に転向し、PFFとBJ、IFなど。
どれもひどい出来栄えで評判も悪かったが、なにも反省せずになぜかやり続けた。
つぎに小説を出すのは22才のストリートノベル大賞まで待たねばならない。
そしてまた小説を出すのは27才で本格的に書き始め、ようやっと28才の文學界と群像。
そして29才の同人誌発行へと続き、病気休業をへて32才に復活し、現在にいたる。
17才、22才、27才、32才、と5年周期にもみえる。
本格デヴューは37才か。
2013年が幸運期らしいが。
同じサイクルを繰り返すとは、アブストラクトなゆーわくで阿部さんが書いていたが。
2012年12月21日に世界は滅亡するようだけど。


22日のロンハー。
チャド・マレーンは黒沢を抱きたいのか。


12月23日は天皇誕生日にして、東条英機らの処刑の日でもある。