ゲーム的リアリズム

ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ (ちくま文庫)

ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ (ちくま文庫)

アマニタ・パンセリナ (集英社文庫)

アマニタ・パンセリナ (集英社文庫)

ゲーム的リアリズムといったのは東浩紀だが、純文学にゲーム的リアリズムを導入したは、舞城王太郎佐藤友哉、また高橋源一郎らがいるか。
しかし何かが違う。
純文にでてくるゲーム・アニメ・マンガ的想像力は本来の幻想さが抜け落ちていないか。
「ペンギン村に陽は落ちて」「ゴーストバスターズ」なんかはすごかったし、鏡家サーガ、「我が家のトトロ」も好きだけど。
やっぱり、こういう路線でやっていけばいいのか。
でも、ライトノベル自然主義的リアリズムや私小説の傾向をもつと、東さんは考えたが、それではおもしろくないとおもう。
ライトノベルセカイ系は、J文学からつながる純文のサブカル化に貢献しているとおもうが、どうもおもしろくない。
佐藤さんも私小説的なものから時代小説や戦争小説、デンデラなどを書いて、東さんの思惑を裏切っている。
ゲーム的リアリズムには、もっと可能性があるとおもう。
J文学的なものにゲーム的リアリズムを足せばいいのか。
それが佐藤・舞城になるのか。
かといって純文に回帰するのもなんだし、佐藤・舞城路線をやっていくのはただのマネになる。
いかしにして佐藤・舞城のゲーム的リアリズムを超えるのかが問題だ。
同じかそれ以上の虚構性、幻想性を持ち合わせたままで。
結論としては、ゲーム的リアリズムにもっとアカデミックなポストモダンやヌーヴォーロマンを足せばいいのかと。
そうすると、クォンタム・ファミリーズになるのかな。
来年1月刊の早稲田文学新人賞に期待か。

きょう、「久米宏 ラジオなんですけど」に大江健三郎がでた。
オコナーをひいてハビット(習慣)の大切さを説いていた。
大江さんの声はいいなあ。
あんな声がでないものか。
CDださないかな。
光さんが作曲で。
でも窮地に追い込まれたら、習慣なんてぜんぶふっとんじゃうとおもうけどな。


遭難した片山右京は5月29日生まれです。


ミシェル・ウエルベックが自身で「ある島の可能性」を映画化したそうです。
「ある島〜」は東さんも読んだようです。


そういえば、イブラヒモビッチのいるスウェーデンがW杯敗退。
クッツェーさんはなにをおもう。


あした書苑イケダにいきます。
水死とクォンタム・ファミリーズはあるか。
中央公論も忘れずに買おう。
ブルボン小林の本も買いたい。
中島らもの本も。
東さんとはちがう、自分なりにアレンジした、ゲーム的リアリズムの小説を書きたい。
登場人物が妙に演技ぶる感じで。