薬を飲み忘れました

雨

名づけえぬもの

名づけえぬもの

きのうMステに森高千里が10年振りに登場。
いつもはキッチンで夕飯をとるが、きのうは自室でテレビを見ながら食したために、キッチンに置いてある食後の薬を飲み忘れた。
深夜不安が襲ってきた。
原稿を打っていても、歯を磨いていても、ぬぐいきれない過去の数々が自分を責め立てる。
有名になってはいけない。
ブログで過去について語ってはいけない。
ひとにあってはいけない。
鏡でゆがんだ顔をみながら苦悶していたら、薬を飲み忘れていることにようやく気付いた。
キトウ氏に同人誌を全号送るのはやめたほうがいいとおもった。
映研の飲み会にも出席しないほうがいいとおもった。
ブログで、”めるきど”とかジサツキトとかハツビョウとか、そういうことは書かない方がいいのではないかとおもった。
どこのだれが読んでいるか判らないし。
小説も過去についての描写は気をつけたほうがいいとおもう。
賞をもし万が一獲ってしまったら大変だ。
獲らないとおもうけど。
なんとか平穏に生きられればそれでいいのだ。
有名になるとかならず病が進行する。
このままの状態を続けるため、新人賞は落選し続ければいい。
わざと凡作にするまでもなく、いくら頑張っても小説にはならないだろうから、その点は安心だ。
しかし隠したい過去が明るみに出ることがそこまで恐れることなのだろうか。
べつにそこまで気にしないでもいいのではないか。
誰かが傷つくのを恐れているのではなく、自己保身だけなのではないか。
鬼どもは私のスキャンダルを容易に楽しみ、意地でも伝播させたがるだろう。
それを弱者が聞いて自分を責めることになるという構図。
それだけは避けなければならない、とおもってここまで生きてきたが本当にそうだろうか。
もういまさらばれてもいま平気で生きているんだから、すべては笑い話で終わるのではないか。
やっぱり自分がバカにされたり、コケにされたりするのが怖いだけなのか。
薬の効能が切れて、しらふになると不安になる。
それが正直なおもいなのではないか。
多くの人を傷つけるのではないか、とくに愛したひとを傷つけるのではないか。
そんな不安のなかで自分の弱い心はきしんでいる。
いったいこれはなんだ。
ひとを傷つけるのが怖い。
ひとをこれ以上傷つけたくない。
自分もこれ以上傷つきたくない。
これは傲慢でしょうか。
薬を飲んでいればそういったことは胸の奥に眠ったままなのだが。
麻痺しているだけなのか。
やっぱり、本当の気持ちは不安のなかにある。
のうのうと生きている自分が許せないのか。
過去にひとを傷つけて、いま平気で生きていて、それを知られるのが怖い。
傷つけたひともいま平気で生きていて、それが私が傷ついていることを知ると、自分のせいだと傷ついてしまうのが怖い。
過去に傷ついている自分を隠したい。
すべて弱者のせいにされるのが怖い。


ベケットの「モロイ」を久しぶりに読んでいます。
比較的読みやすいとされる第2章から。
「名づけえぬもの」のほうがおもしろいらしいですけど。