小説を書いているから、生きていられるのか?

カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)

光の曼陀羅 日本文学論

光の曼陀羅 日本文学論

まえの日記で、小説を書くのは人生を生きるうえでたいして重要じゃない、というようなことを書きました。
2005年から2008年の停滞期は、ただ漫然と記録としての小説を書いているだけでしたが、去年の暮れあたりから、おもしろい小説を書いた方がいいという、2004年には持っていただろう意識付けが復活してきました。
4年前には小説は生きることだと、はっきり言えたかもしれません。
それが私小説的なものから少し離れ、視点が個人の私から、多角的な登場人物の視点を得ることで、生きることと小説を書くことが、必ずしも合致しないようになったというか。
小説を書くことが、最大の目的で、それに人生が付随ているという、そしてその付随しているものは現在や未来でなくすべてが自分が経験した過去というもの。
あと、小説で自分を救おうとするもの。
この2点が薄まってきたあらわれでしょうか。
小説を書くこと以外の部分で余裕が生まれ、決して小説を書くことがすべてではなくなった。
しかし小説を行き詰りながらも順調に仕上げていっているという、安心感が人生を安気なものにしている面もある。
小説執筆と実人生の日常の繰り返し、この日常の繰り返しというのが、暴力的というのか強烈な重さと軽さを持ったすべてを恐ろしいまでに洗い流していくものであるわけだが、この両方がともにこなれてきたために相乗効果で、バランスがうまく保て、小説を書くのは人生を生きる上でたいして重要じゃない、という発言につながったような。
そして、小説と日常がうまくいってないときは、両方ともに沈んでいく。
小説に自分のことばかり綴っていくと、内容もネガティヴで気持ちまで落ちていく。
自分のこと、自分のことばかりでは客観視もできない。
なにかフィルターというか別の視点に自分を持っていかないと客観視は無理だ。
つまりやはり小説の出来不出来が、人生に影響を及ぼすのか。
生活は別段変ったことといえば、お小遣いが増えたことと、メールやネットをするようになったことと、読書量を増やしたことと、あとやはり2008年に同人誌の再開が大きいだろうか。
うまくいってない原稿をはじめから全部書き直したことも大きかった。
それと「早稲田文学」が復刊して新人賞をまたはじめ、それに2007年9月に応募したことも大きかった。
文芸誌をまとめて買いだしたのが2007年、当初は「すばる」だけ買わなかったが、後半からはすべて買うようになったとおもう。
大江健三郎賞も2007年から行っている。
今年はメビウスの講演会とかぶり、行かなかったが。
回復したのはここ1年くらいだが、停滞期のもろもろの文学活動がだんだんと効果を上げてきたといる。
それまでは長編の私小説を「群像」「文藝」「メフィスト」に送ろうという大層大がかりなことを画策していた。
それが同人誌活動、文学フリマ、ワセブンなどハードルの比較的低い目標が立てられたのがよかった。
またメールやブログという身近な活動も功を奏したのだろう。
そんなつながりのなかから大目標である、群像新人文学賞が浮上してきた。
小さな自己確認の積み重ねが、無理をせず大メディアに挑戦するという勇気を与えた。
だが、「群像」に関しては、小説を書くだけで精一杯でその後のことはあまり考えないようにしたい。
以上が私の認知行動療法の「当事者研究」である。
なぜ最盛期の2004年に精神のバランスを崩したのかはいまだ不明である。
考えるに、亀山郁夫がいうような傲慢さがいけなかったともおもう。
自分の小説はとても優れているのにまったく評価されないことへの不満。
これが誇大妄想を引き起こした。
一気にすべてを望んだのがいけなかったか。
コツコツ時間をかけてやるものが小説や人生なのに、すぐ大きな結果を望んでしまった。
それから病院で自己過信の終わりを迎える。
それが、病後の私小説という自己の残滓へのこだわりに続き、ようやくいま自己から解放されつつある。
流通している小説には到底及ばないが、いつか私もおもしろい小説を書いてみたい。