図書カード消尽

ダイナー

ダイナー

図書カードを早くも使いきってしまいました。
エコポイントでもらった5000円分の図書カード。
定額給付金は、凛として時雨のCDとこまごまとした本代に消え、今回は本4冊でなくなりました。
平山夢明の「ダイナー」を買いました。
ポプラ社の。
大江健三郎「燃えあがる緑の木」(第一部)も図書カードで。
東京にいたとき、セキモト君というひとが、大江さんをよく読んでました。
まさか当時は自分がここまで大江作品を買うとは夢にも思いもしませんでしたが。
距離をおいて冷めた目で眺める感じというか。
いまでは嬉々として大江賞に駆けつける始末。
千駄木の津田塾ホールの講演会にも行ったことがあった。
2000年くらいに。
サイン会もあったが、あまりに自分が大江作品を読んでいないので気おくれして、外から傍観していた。
その場にセキモト君も明大生の同郷の友人といたが、なぜか声をかけなかった。
あとにほかの予定があったこともあり、早々に引き揚げた。
しかし、そこで確固たる彼のサインをもらわなかった後悔が、物質的になにかを残そうという、小説執筆の動機づけになったのも事実である。
講演会前後に発表された「取り替え子」も、読んだとき私小説的なタッチから遥かに様相を変えていくという手法を学んだ。
それがいつのまにか、露悪的な性もないただの私小説に矮小化されていくのだが。
きのうは、ハロウィンであり、群像新人文学賞の締め切り日。
ほんとに来年応募するのか。
東京にいたとき、机の透明シートに下に応募要項をコピーした紙を挟んでいたことがあった。
笙野頼子が選考委員だったことをよく覚えている。
手書きで書こうとした小説はまったく進まず、あきらめた。
大学内のコンテストにも送ろうとしていたが無理だった。
だから見よう見まねで、帰郷より小説を書き出したはじめはほんと苦労した。
いままでで同人誌以外のコンテストは、帰郷してからは4回ある。
上京前など全部入れると10回くらいか。
ほとんど満を持し周到な用意をして、自信作をベストな形で応募したことはない。
想像力がたりず、どれも思い込みだけの作品。
あとあとになって落ちてあたりまえのレヴェルであるのに、なぜかいつも最高傑作とおもって賞は確実という妄念にとらわれてしまう。
かなしいことだ。
もっと注意深くなったほうがいい。
なんとなく自分の甘さが判ってきたのはここ最近のことだ。
それがかえって行動力を減らしているのかもしれないが。
でもやっぱり瞬発力のいるメールなどではいまでも失敗ばかりだ。
頭に血がのぼって冷静な判断ができない。


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つぎは「アイム・ノット・ゼア」を借りようか。