エレファント・マン

デイヴィッド・リンチの「エレファント・マン」(1980)を、きのう観ました。
何十年と思い描いていたものと、違っておどろきましたが、おもしろかったです。
主人公ジョン・メリック(ジョン・ハート)の顔が一切現れないものと思い込んでいたのでしたが……
映像特典の”リアル・エレファント・マン”では母親の名前がメリー・ジェーン(つのだ☆ひろ?)で、レクター出身と紹介。
トリーヴズ役のアンソニー・ホプキンス演じる「羊たちの沈黙」のレクター博士と関連はあるのでしょうか。
やっぱりラストは死んでしまったということらしいですね。
美しい話だなあ。
前半は涙をながしながら観ていました。
あまりに、いじらしい。
私の曖昧な記憶では、船にのって、駅に着いてひどい目にあうところが最後だと、昔少し観たのか、そう教えられていたのか、ジャケットからの想像か、そう勝手に決め付けていたのでしたが、あんな優しいフィナーレが待っていようとは。
インランド・エンパイア」にもつながる、”すべては永遠に続く”という言葉。
素晴らしい。
興行師のバイツと守衛が、あまりにも悪役になってしまっているのが気になりましたけど。
でも、あれが人間の業ですかね。
トリーヴズのとってつけたような苦悩も人間らしい。
反省なんてひとは本当にできないものかもしれない。


文學界」(09・11)の東浩紀「なんとなく、考える」(第十六回 仕切り直し)を読む。
あまりにも厳しいお言葉。
バカなブロガーを一刀両断。
哀しくなりました。
≪困った「良識派」≫
こっちも好き勝手に東さんのことをいっているのでお互いさまではありますが。
固有名詞多用の≪二流の文体≫
ひとつひとつが心にグサリと突き刺さります。
≪ブログしか発表媒体のない自称論客や自称研究者≫
いつしかの逆襲を誓って。
≪アンバンドル化≫についての分業化の話は、吉本隆明の古代人と現代人の、すべてをひとつに集中させるやり方と、バラバラに拡散する集中のやり方と呼応するような。
分業化をすすめることで”広く浅く”の現代人が”狭く深く”の古代人になれることをテクノロジーが推し進める可能性もあるのではないか。
しかし分業化という細分化が進むと、専門性とは違い、全体を見通せない作業になるからバラバラになって、古代人の全体性には達せず、結局意味はないのか。


ピストルズ 阿部和重”で検索したらおもしろいサイトを発見。
まずは北乃きい主演でラマ化もされた「ライフ」についてのもの。


http://moura.jp/clickjapan/life/kikaku03.html


天然コケッコー」を昔彼女に薦められて読んだという話もまえにあった。
そして、「本の雑誌」のインタヴュー。


http://www.webdoku.jp/rensai/sakka/michi64.html


阿部さんが初めて読んだ大江健三郎作品が、「空の怪物アグイー」で、文庫所収の「不満足」にストリート感覚を感じたとか。
その10年後、私は阿部さんの「インディヴィジュアル・プロジェクション」で同じ感想を持つわけですけど。
阿部さんの大江作品での一番は、「洪水はわが魂に及び」だそう。
公爵夫人邸の午後のパーティー」も三島由紀夫の「禁色」のパロディだそう。
「禁色」は中学生のときに読み、はじめての純文学体験がこの三島だったそう。
私は、ほとんどゲーム本ばかりだったが、しいて挙げれば筒井康隆高橋源一郎か。
あと阿部さんがあれほどSFを読んでいたとは驚いた。
ヴァリス」くらいかと思っていたけど。
ルーディ・ラッカーも読んでいるとは。
有名どころばかりとはいえ。
「言葉と物」やサドなども。
中原昌也福永信佐藤友哉も相当な本読みだが、阿部さんもやっぱりすごい。
それにしても小学生時代にブルース・リーの「魂の武器」を、買って読んでさらに書き写しているとは!
私は「鬼太郎夜話」やブレナンのゲームブックくらいですよ。
あと「宇宙皇子」とか。