同人誌、最後の追い込み

この人の閾 (新潮文庫)

この人の閾 (新潮文庫)

砂の器〈上〉 (新潮文庫)

砂の器〈上〉 (新潮文庫)

12月6日の文学フリマを目指し、同人誌「メルキド」6号の編集も大詰めだ。
今回は36ページの予定。
創刊号は24ページ、2号は27ページ、3号は29ページ、4号は25ページ、5号は46ページ。
5号だけ500円で、あとは400円。
5号で燃え尽きた感も多少あったが、細々と続けていきたい。
模索舎タコシェ、イレギュラー・リズム・アサイラム、書物の森、ガケ書房、百年などでも販売する予定。
小説を完成させる前に、作中に出てくる保坂和志の「夏の終わりの林の中」(「この人の閾」所収)と村上春樹の「ニューヨーク炭鉱の悲劇」(「中国行きのスロウ・ボート」所収)「日々移動する腎臓のかたちをした石」(「東京奇譚集」所収)、大江健三郎の「燃えあがる緑の木」(第一部「救い主」が殴られるまで)を読まなくてはいけないような気がするけど。
「社会は存在しない」の岡和田晃氏の「青木淳悟―ネオリべ時代の新しい小説(ヌーヴォー・ロマン)」も読まないと。
「ニューヨーク革命計画」についても論じているようだし。


百年読書会の「砂の器」について、感想のメールをしたが失敗をしてしまった。
あまり深く考えもせず、”エンタメ本はおそらく初めて読んだ”と書いてしまった。
古くは「ロードス島戦記」やソード・ワールド小説、そしてなによりナヴィゲーターである重松清の「四十回のまばたき」も読んでもいたんだから、事実と違うし、重松さんもエンタメ系の作家であるため、はなはだ失礼な物言いにもなってしまった。
単行本化しているものは完読している佐藤友哉鏡家サーガもエンタメと言えるし。
伊坂幸太郎宮部みゆき道尾秀介東野圭吾京極夏彦とかそこらへんの作家のことを思い浮かべてことごとく読んでいない印象が強かったので間違った記述を安易にしてしまったのだろう。
でも「砂の器」を読んで、やっぱりエンタメ系は苦手だなとおもってしまったのも事実。
なにか残酷すぎるというか、救いがないというか。
無慈悲な気がする。
中原昌也の小説なんか暴力的ではあるけど、笑いとスピードがある。
エンタメもスピードはあるが、純文学のスピードではなくただ消費しているだけのような気もする。
村上春樹松本清張に案外近い気はするが。


青春リアル」の再放送、”ゆきやん”を観る。
「知る楽」の西加奈子を捨て、その間に入浴をすませて観た。
そのまえやっていた「ソングス」のグレイの「ハウエバー」にいまさらながら感動をした流れで観た。
不完全な家族でいいというのが心に残った。
理想なんていうのはもたないほうがいいのか。
理想のバッティングより、状況判断をしてその場その場に合わせた泥臭いバッティング。
理想なんてのは幻想なんですかね。
硬直した頭でっかちなんですかね。
それをほぐすのも妄想という幻想な気もするけど。
手前勝手ですが、私がはじめて16歳くらいで書いた短編小説は「幻想」というタイトルでした。


草野キッド」の田代さやかホリプロ、”下乳・手ブラ(ジャー)”の禁止をかいくぐるアイディアや、シーナ茜の着エロの話をなぜか真剣に観てしまった。
深夜放送ばかり観ていたため読書がほとんどできず。
また怠け癖が。
”考えが変われば行動が変わる
 行動が変われば習慣が変わる
 習慣が変われば人格が変わる
 人格が変われば運命が変わる”
野村ノートより。


児玉清ってドイツ語の原書でミステリーを読むんですね。
「週刊ブックレビュー」が観たい。