文学の徴候

文学の徴候

文学の徴候

現代小説のレッスン (講談社現代新書)

現代小説のレッスン (講談社現代新書)

斎藤環の「文学の徴候」を岐阜の自由書房で買うかどうか悩んだ。
結局、お目当ての阿部和重中原昌也についての評論は「文學界」掲載時のものを持っていたので買わなかった。
佐藤友哉についての論考があるかどうかも気になっていたがなかったこともあって(*訂正 佐藤評ありました)
2100円の本だが、マーケットプレイスで配送料込みでだいたい1000円で買える。
これも文芸誌掲載時のものをだいたい持っている、加藤典洋の「文学地図」も買うかどうか。
某大学の生協にあったが、今度多和田葉子×諏訪哲史の対談があるとき近くだから寄ってまた見てこようか。
新聞に加藤さんの発売に際してのインタヴューが載っていて、村上春樹の「ニューヨーク炭鉱の悲劇」と大江健三郎のなにかの小説をあげて転換期として注目していたがなんだったか忘れてしまった。
「日常生活の冒険」だったか「ヒロシマ・ノート」だったか。
きょうは坂口安吾と皇后美智子さんの誕生日だそう。
皇室は秋冬生まればかりですね、なぜか。
スカスカの文章。
ペラい日本語(石川忠司「現代小説のレッスン」)
リーダブル。
翻訳調。
意識の流れ。
テクスト論。
阿部さんは「シンセミア」執筆時、コミック雑誌ばかり読んでいたそうだ。
だから、あんなエクスクラメーションマークが多いのか。
現実を均質化するのが、風景の発見、風景描写か。
登場人物が少なく、風景描写がひとつもなく、悪意と暴露だけの小説。
そんな小説を4年間書き続けてきました。
登場人物は多かったけどすべて回想のなかだけの話だった。
真のスランプだった。
どうかしていた。
本当にまだ狂っていた。
哲学を見失っていた。
日本現代文学のレヴェルの高さを実証することも忘れていた。
いまでも治ったかどうか怪しいもんだけど。
入江君人と「日曜の人達」というのはおもしろいだろうか。
私の一番好きな映画がロバート・シオドマクの「日曜の人々」だけど。
そういえばランショくんが、ミクシィで1日で400件アクセスが先月くらいにあったそうです。
coccoミュージックステーションのことを書いたらそうなったそうです。
彼女はリストカットと拒食症で大変だったことを、「パピルス」で告白していました。
話を戻すと、最大のスランプを保坂和志綿矢りさで抜けたはいいが、風景描写とそつのないよくできた物語というのにはまだ手をつけていない。
状況説明と独白・対話だけの小説。
上下巻問題もあるし。
東大生みたいに「邪宗門」くらいは読まないとね。
りさたんも「ボヴァリー夫人」は読んだようだし。
長嶋有みたく「感情教育」でも読むか。
清水良典先生みたく「パルムの僧院」とか。
ポストモダンとヌーヴォーロマンは読まなくていいか。
読んでも売れる小説は書けないでしょうし。
ドンスコスコスコ、ドンスコスコスコ、ラヴ注入
ドンスコスコスコ、ドンスコスコスコ、ラヴ満タン(楽しんご