さんざん
- 作者: ジョルジュバタイユ,Georges Bataille,酒井健
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2009/10/07
- メディア: 文庫
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エロティシズムや非知についての補完、ヘミングウェイやダ・ヴィンチへの文章、デュラスとの対話といった酒井健訳のちくま文庫のものだったが、バタイユ関連はいろいろ持っているし、クレーの装画が美しかったが買わなかった。
精文館にはいつも月曜日に行くが、眼鏡をかけたやせた若い男の店員が大概レジをやっている。
夏の盛りはTシャツを着ていたが、いつも右側にシャツの丸首がずれていて、やばめの格好をさらしているのを、帰っておのれを鏡で確認するたび、毎度まちがいを正せずいるのに落胆していた私である。
相当印象が悪かったろうに。
それで文芸書をえらそうにいい気になって買いまくっていたのが恥ずかしい。
秋冬になれば、メヤニと髪型くらいを気をつけていればいいか。
ほんと見た目の心配りは面倒で難しい。
美容院では外国人店員に戸惑ってしまっていた。
これも島国根性の底の浅い差別じみた精神がでて情けない。
ノーベル賞のルールも変えなくていい。
国民的・世界的ベストセラー作家が獲るような賞では意味がないし。
マイナーな気骨な作家が獲るようになればいいじゃないか。
そうすれば阿部和重・中原昌也やその路線の後続の作家が獲れるようなことにもなるかもしれないし。
そうなれば日本の文化も変わっていきそうだし。
日本のヘルタ・ミュラーを目指すのもいいかもしれないが、柳美里みたいになるのか。
川上未映子が哲学というのは「人生論でも生き方のハウツー本もない」といってたのが妙に心に引っかかる。
”いろんな人生を小説を通して知る”
と誰かがいっていたとおもうが。
そういう人生観とは人生論は違うのか。
多和田葉子と川上さんの対談では、多和田さんの「不可能性」という言葉が気になった。
文学は芸術なんでしょうか。
芸術は小難しいだけでもないのか。
イメージとしての芸術が独り歩きしていけないのか。
夕方、カメツ商事(?)から電話。
漏れ聞こえる受話器越しの声が、「カワデショボウ」(河出書房)に聴こえた。
CS、中田にかけるしかない。