ついに、ついに
- 作者: 大江健三郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1983/05
- メディア: 文庫
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- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2005/02/28
- メディア: 文庫
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ほしのあきが表紙の。
べつにほしのファンじゃないからかまわないけど汚れすぎだ。
ぱっと見はわからないが、光をかざして角度をつけてみるとすれたような傷みが全体にある。
文芸誌も傷んでいるものが多く、気をつけるように中国の友人の影響もあってしていたが、どうも徹底できない。
もっと状態がいいものと交換したいけど、ほしのの熱狂的なファンだとおもわれるのが嫌でできない。
「砂の器」(上・下)を読了。
上下巻以上の本これで何冊目か?
「シンセミア」「ノルウェイの森」「羊をめぐる冒険」「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」……
ほんと少ない。
いかに怠けているかがわかる。
上巻だけ読んだものは「海辺のカフカ」と「洪水はわが魂に及び」か。
大江健三郎のほうは下巻のはじめで止まっている。
村上春樹のほうは、上巻は破格の105円で買えたのでそれをまた待って下巻をさがしているがだいたい300円代で買っていない。
いま不完全なものを含めて手元にあるドストエフスキーやジョイス、「白鯨」「死霊」なんかを読んだほうがおもしろいか。
短編ばかりを読んできたとつくづく実感する。
集中力がないのか。
飽き症なのか。
もっと本の世界にどっぷりつかりたい。
というわけで図書館で借りている「いまどきのブンガク」の阿部和重と中原昌也の箇所をようやく読む。
阿部さんのところには、
≪ダントツに<いま>に対してセンシティヴな阿部ですら、後手後手に回っていることを見ると、これはもう、小説ひいては文学にまつわる構造的欠陥ではないかとすら思えてくる≫
と、栗原裕一郎が述べている。
阿部さんは≪機を見ないことに敏≫という≪感受性の欠如≫が必要なのではないかと締めくくっている。
つまり≪愚鈍≫であれと。
中原さんのところは、村崎百郎が
≪彼の小説を「不条理小説」とカテゴライズしてカミュやカフカの系譜としてとらえる読者も多いだろうが、俺にはむしろアルトーのほうに近いような気がしてならない。幼少期の病気がもとで生涯激しい頭痛に苦しみつづけたアルトーは、生きてこの世界に存在しているだけで、”強烈な不快感”を感じることができた人間だった。中原も同様に、常にもろもろの理由で、平和に馴れきった人間たちにはなかなか感じることのできない”不快感”を抱え持ちながら生きている人間である≫
と述べ、中原小説を≪読む価値がない≫と切り捨てるもろもろの論陣を糾弾している。
つまり世界というのは”不快感”でできているという真実を中原作品は暴くのである。
きょうからセ・リーグCSスタート。
チェン対館山。
”便利屋さん”館山を攻略できるか。
藤井がカギか。
たのしみである。
ヤクルト石川でした。