早とちり

ゴ?ストバスタ?ズ 冒険小説

ゴ?ストバスタ?ズ 冒険小説

「愛でもない青春でもない旅立たない」は10月15日発売でした。
ニーチェフーコー保坂和志真木よう子の誕生日の日でした。
あとコ―ネリアスの69/96はむかしなぜかアナログ盤で買って、いまではどこかにいってしまいまして、テレコで直録音したテープだけが出てきましたが、それも途中まで、おそらくA面だけだった。
CDだとトラック数が”96”で、しまいに木魚と連呼するピチカートやスチャダラなどの音も入っているボーナストラックがあることをしりました。
13年という月日が経っていました。
13年というと、東京に無理矢理上京したのが97年で、それから6年、蒲田・浅草(最悪のチョイス)で過ごし、大立ち回りを演じて2003年あたりから実家に戻って新生活を始めてこれまた6年経ち、来年が上京と帰郷を合わせて13年後にあたり、六星占術とかだと運勢が今年で一周りするので、そろそろなにかことが熟してくれないものかとおもっています。
いま中国にいる友人から「天才マックスの世界」と「ロイヤル・テネンバウムズ」(両作ともウェス・アンダーソン)「生きているものはいないのか」(前田司郎の戯曲)を借りている。
アンダーソンを観たら、ゴダールの「勝手に逃げろ 人生」「JLG JLG」を借りる予定。
浅田彰は「フォーエバーモーツアルト」を一推ししているが。
また「アワーミュージック」のように寝てしまうだけかもしれないが。
中国の友人から借りた本も、笙野頼子「母の発達」の”母の大回転音頭”のコピー(「文藝」96年春季号)と、高橋源一郎の「ゴーストバスターズ―冒険小説」(「群像」5月臨時増刊号。松本孝志のイラストがいい)のコピーくらいしか読んでいない。
「へるめす」の三浦俊彦バクテリア学派」も借りたが読まなかった。
源ちゃんと柄谷行人の臨時増刊の「群像」はその後、現物を中国の友人に頂いた。
これはいまも大事に取ってある。
「母の発達」のほうは、河出文庫がリニューアルしたとき、千種正文館にだけ見つけたが(他の本屋は「愛別外猫雑記」しかない)、しばらく買わずにいたらなくなっていたけど、先日岐阜の帰りに名古屋に寄ったおりに105円で昔の文庫版が買えた。
これもながき時間の経過がある。
やっぱり知り合いがいるとなんでもお金をかけずに済ませられるからいい。
実利的なことだけではないが。
ほかのもらった本は、最近借りた「舞踏会へ向かう三人の農夫」以外、ほとんど読まずにどこかへ行ってしまっている。
どうもすいません。
すいません繋がりで太宰治の「ヴィヨンの妻」のヴィヨンは、15世紀フランスの破天荒な詩人ヴィヨンからとったそうです。
「ダス・ゲマイネ」はドイツ語で通俗性とかいう意味。
角田光代が「知る楽」で太宰を語っていたのを見逃した。
ちょうど岐阜から帰ってきたところ。
これは角田さんが選考委員の「すばる」「文藝」に出せないということか。


きのう教育で「死刑囚・永山則夫―獄中28年間の対話」を観る。
おりおり「こんにちは!」とはじまる永山さんの手紙の文章に幼さと無垢さを感じる。
ミミズの歌もおもしろい。
死ね、生きろ、死ねの判決がこれまた残酷だった。
大量の手紙がいまでも残されているのが素晴らしい。
4人の被害者(永山さんは自分も含め5人の命と書いていた)は遺族やまわりの力で浮かばれることをねがうばかりだが、それにほんの1ミリでも永山さんが関われたらいいとおもう。
それが正しい刑法だとおもうが。