安部礼司、聴き逃しました

きのう「ザ・マジックアワー」を、きょう「インランド・エンパイア」を観た。
両作品も期せずして劇中劇の映画。
DVD発売は「マジック」が2008年12月、「インランド」が2008年2月。
製作年も期せずして近い両作品。
基本的にふたつともおもしろかった。
期待はずれな面も両方ともにあったけど。
「マジック」ははじめて嘘の撮影をするところ(佐藤浩市深津絵里がはじめて出会い、ホテルの場所を訊くシーン)で、深津に昼の光が優しく降り注ぐ映像が素晴らしかった。
だが、肝心の夕焼けの美しさは全体を通して、雲の映像ぐらいで乏しく驚くほどに物足りなかった。
映画ではなく現実世界で夕映えを待てということかもしれないが。
あと、映画ではないと佐藤が気づいてから突然おもしろさはダウンしたような。
佐藤のドン・キホーテ的な妄想めいた演技が、ほんとの狂人のようにおもしろかったのだが。
しかし映画館で自分のラッシュ映像を観るところは感動した。
あれが映画の最高潮ではなかったか。
また、デラ・トガシの本物が出てくるところなどは興ざめした感がある。
あそこはどこからかスナイパーとして狙っていてほしかった。
「インランド」は映像美的おもしろさは極端に少なかったような気がした。
デジタルで凝っていた作りだが、娼婦の群像シーンくらいしか、リンチの専売特許の刺激的映像はなかったような気がする。
ただラストの一言には度肝をぬかれた。
人間賛歌じゃないか。
あのシーンだけで全体の退廃的ムードが一変するんだから、終わり方は大切なのか。
「マジック」の終わり方の「撤収!」というのもノスタルジックな良さがあったが、「インランド」のほうが登場人物だけではなく、観客を巻きこんでだませていた手腕があり、デヴィッド・リンチのほうがやはり三谷幸喜より一枚も二枚も上なのか。
ただ劇中の登場人物のコミカルな奮闘ぶりは「マジック」も十二分にリンチのさまよえる群像に勝るものもあったとおもうが、やはりメタ的な観客の視線を殺す演出が、ドロップの缶で射殺から逃れたり、老人が名俳優だったり、と脇道のものしかなく本道で客をあざむくような演出がたりず、ただ悠然と画面を眺めるだけに後半特にそうなってしまったような。
それが、ラストの深津の心変りや、妻夫木聡綾瀬はるかとの未来、佐藤浩市寺島進の師弟関係などがあまり想像してもリアルに映像が浮かんで来ない一因になったような。
「インランド」は保坂和志が、「真夜中」(リトルモア)の連載でずっと言及を続けていて、毎号買っていたが(蓮實重彦黒澤清青山真治の「映画長話」目当てでもあるが)長いこと肝心の「インランド」を観なかったのでぞっと読まずにいたんで、これでようやく読める。
裕木奈江は「光る雨」もよかったけど「インランド」も変な役だったけどよかったのではないか。
真中瞳もこうなるのか。
あとソフトバンクのスマップのCMと同じ曲が、「インランド」にも使われていたけど、澤本嘉光がこれ観て選曲したのか。
やはり「マジック」と「インランド」は非常に対照的な作品でしょうか。
最後は現実に帰るのと、夢の理想的世界に行くのとで……
共通点としてはふたつとも長い!


アブラクサスの祭」(玄侑宗久)が映画化だそうですね。
柴田元幸が「小説の読み方、書き方、訳し方」で日本現代文学のセレクションのなかに入れていましたけど。
それで買おうと思ったけど、店頭で文庫の表紙のけばけばしさに閉口して買わずにいたのですが。
スネオヘアーが関係しているのか。