鈴木謙介

カーニヴァル化する社会 (講談社現代新書)

カーニヴァル化する社会 (講談社現代新書)

海底八幡宮

海底八幡宮

きのうの「青春リアル
鈴木さんが”居場所”のトピックを立てた。
結論としては、
≪空気なんか読めなくたって居場所は作れるし、むしろ言わなきゃ伝わらないことの方が多い≫
というもの。
認められなくても、否定されても居場所は作れるだろうか。
そんな殺伐とした空間さえも居場所としなくてはならない、川上未映子「ヘヴン」みたいなものもあるのか。
厳しい環境も、世界の正しさのために認めねばならないか。
コミュニケーションの居場所のため、無言という反抗、無言という異議申し立てで、秩序を守るというやり方もあるか。
無言も「なにか言わなきゃ」に通じるような
居場所をつくるにはストイックな厳しさが必要なのかも。
池田雄一が「WB」(Vol.12)の「俺の人生に時給くれ!」で
≪若年層(およびそれ以上の方々)がまわりの制止をふりきって、「夢の実現」にこだわるのはなにも贅沢病なのではなく、液状化した世界でおかしくならないためのなけなしのサバイバル戦術なのだ≫
といっている。
カーニヴァル化した労働が、給料分の仕事から、全力の遊びになり搾取される構造をもつ。
これもある意味居場所として認められてしまうのか。


太宰治が「愛と苦悩の手紙」の菊池義孝への手紙のなかで
≪読者への奉仕≫
≪隣人への捨身≫
と書いている。
これも居場所をつくるキーワードか。


笙野頼子の「海底八幡宮
≪老猫の危機に彼は降臨した―日本に四万四千あるあの神社は、全て我等より奪われたもの!≫
居場所は奪われているのではないでしょうか。