矢野優など

太陽の季節 (新潮文庫)

太陽の季節 (新潮文庫)

きのう深夜、総合で「ドキュメント20 松本サリン事件・罪は償えるのか」と「Jブンガク」の「太陽の季節」がだぶって困った。
自室のアクオスには録画機能がないので、核心部分の番組ラスト河野さんの”赦し”の話のところで「Jブン」に切り替えてしまった。
そのあとの「挑戦にほんごできます」のメイド姿のエリンを不穏な気分で観ることになった。
松本サリンで息子がなくなり、長い間笑ってはならない、おいしいものを食べてはいけないと苦しむ母親、被害者を時間が経っていくら取材しても悲しいだけだから意味がない、どうせするなら加害者の罪意識を問うたほうがいいという息子をうしなった父親。
遺族の無念はいったいどうすればいいか。
小林秀雄は太古の昔は不慮の事故に意味をもとめ、神という概念をつくったが、現代日本ではすべてが偶然になってしまい、それはとても苦しいことになるというようなことをいっている。
「新潮」の付録のCDで聴いた。
「新潮」の矢野優が、2004年に「ファウスト」でしたロングインタヴューや「早稲田文学」の「新人作家のつくりかた!?」での「文學界」「群像」編集長との座談会をなんとなく読みなおしたら、「群像」ではなく「新潮」に送ったほうがいいような気がしてきた。
でも「新潮」は厳しそうだ。
洗練されてて上品で判りやすくてスマートでといった印象があるが。
「群像」のほうがどこかやぼったくてダサいけど親しみが湧く。
「新潮」は第24回のワセブンと締め切りがかぶるし。
それに「群像」には、コネもあるにはあるし。
自分のおもしろいと思えるものがどれだけ伝わるか、中田ヤスタカ的に試してみようとおもいます。
いま書いているのは、あまりうまくはいっていない作品だけど。
自分が楽しめる作品を創るのはかなりむずかしい。
届かない部分は、相手のおもいやりに甘えるしかない。
いきなり最高傑作はできないので、まずはそこそこの作品であればいいような気もする。
甘すぎるか。
だいたい書いてみて手ごたえは自分である程度は判る。
まだ大手文芸誌は早過ぎるか。
やりながら微調整をしていくしかないか。