群像新人文学賞

新装版 限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)

新装版 限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)

アメリカの夜 (講談社文庫)

アメリカの夜 (講談社文庫)

小説トリッパー」(2009・オータム)での「和子の部屋」の第3弾。
川上未映子阿部和重の対談。
ピストルズ」が佳境に入っているからか、やっつけ仕事な模様でした。
川上さんの小林秀雄感と、阿部さんの先入観の差がおもしろかった。
「怖くて仕方ないのです」という川上さんの相談内容も強烈。
母、祖母に対する面倒をみないという後悔と、彼女たちが亡くなるという死への恐怖。
1人称の死は乗り越えられるというのもおもしろい。
川上さんがいっていた、作品が子どもの代わりというのは、金井美恵子が「スタジオボイス」の記者に同じよなことをいわれて、呆れてたことがあったけど。
作品と子どもは違うような気も確かにしますけど、同じという錯覚をするほど両者に入れ込みすぎるのは恐ろしいことなのでしょうか?
作品も子どももほどほどの付き合いにするべきか。
でも面倒をみないといけないというのでは同じエネルギーをつかうのか。
私ももう結婚は諦めていて、創作するしかないような状況に追い込まれているのような気もします。
結婚しても子どもがいなけりゃいいわけでもないし。
村上春樹みたいにいないひともいるし、大江健三郎さんみたいに両立しているひともいるし。
実生活と作品は違うべきなのか……
作品が子どもなんじゃなくて、読者が子どもなのか。


やっぱり「群像」に送ろうか。


村上春樹 1979年
阿部和重 1994年
岡大介 2009年
大物15周期説。


笙野頼子高橋源一郎 1981年
阿部和重         1994年
諏訪哲史         2007年
大物13周期説。


村上龍  1976年
阿部和重 1994年
??   2012年
大物18年周期説。


これにかけるしかないか。
しかし、田中和生みたいに「10年に1度の傑作、20年に1度の大型新人」みたいになりたいわけではない。
なれればそれにこしたことはないが、まずは自分が認知できるかどうかが問題。