文藝春秋 2009年 10月号 [雑誌]

文藝春秋 2009年 10月号 [雑誌]

グランド・フィナーレ (講談社文庫)

グランド・フィナーレ (講談社文庫)

福永信の詩がいま出ている「文藝春秋」に載っているそうだ。
図書館でコピーしようか。
阿部和重の「グランド・フィナーレ」が埼玉で今年2月に舞台化されたらしい。
岩井秀人(ハイバイ)というひとが脚本で、遊園地再生事業団などの役者が出演している。
映画化・アニメ化、切に希望。
エミール・クストリッツァの新作「ウェディング・ベルを鳴らせ!」や、2007年の「それでも生きる子供たちへ」(ブルー・ジプシー)も観たい。
しかしそのまえに、お宝倉庫で買ったままになっている中古の「アリゾナ・ドリーム」を観ないと。


「文藝」と「群像」は濃すぎますかね。
でも保坂和志は、アマチュアは批判的になる傾向があるので、真に受けてやったほうがいいとまえに朝日新聞でいっていたような。
早稲田文学」にも文句をいえば切りがないし。
中原昌也ベケットブランショアラン・ロブ=グリエを換骨奪胎して読みやすく笑えて、文盲の自分にも読めるようにしてくれたように、中原チルドレンの私としたらその流れをくんで、小説を書いていきたい。
チャド・マレーンの大傑作映画「HONEY STAR」のようなものがいつか出来ないものか?
そのためにはいったいなにが必要なんでしょう。
それで同人誌をはじめてみたんだけど。
同人誌を切磋琢磨の場にして、大手文芸誌にいつか載るようなストーリーは果たして現代通じるものか。
大手文芸誌がゴールでいいのだろうか。
もっとおもしろい、自分の納得する、自分が読んできた古今東西の小説群と比べて、肩を並べることができるものをつくることは本当に難しい。
どうしても薄っぺらい、浅い、ごまかしの作品になってしまう。
文芸誌に載るよりも、なにかおもしろいことがしたいだけなのだが。
でもおもしろくないから、文芸誌に載らないのか。
中原さん+マンガ・アニメ・ゲーム的な小説を書きたいんだけど。
文芸誌では、簡単に自己否定をされそうで。
自己肯定感が欲しい、鈴木謙介がいうところの自分探し系なのか。
「文藝」は一番サブカルチャー寄りで、文体とかにも気をつかわないでいいもののような気がするけど。
低能な感もいなめないが。


「のっちの短パン」という現代詩を現在構想中です。
私も低能です。