失格

蹴りたい背中

蹴りたい背中

書きあぐねている人のための小説入門

書きあぐねている人のための小説入門

きょう出先の帰りがけに精文館に寄ったら、「思ってたよりフツーですね」①が置いてあった。
せっかく注文してまで書苑イケダで買ったのに難儀なことだった。
うらぶれた地方都市の新刊・在庫探偵失格ですね。
あと青木淳悟鹿島田真希の新刊文庫がそれぞれ5冊ずつあったといのも眼の錯覚のようでした。
青木さんが4冊、鹿島田さんが3冊くらいだったような。
ここでもまた眼の錯覚があるかもしれないが。
錯覚ではなくて、売れたのかしらん。


行動範囲を広げるためにも、小説はワセブンや同人誌だけじゃなく、大手文芸5誌に投稿したほうがいいのか。
高校も大学も恋愛も就職もすべて裏道を通ってきた私としては、もう陽の照ったメインカルチャー文芸誌には拒否反応があるんですけど。
毎月買っているわりには。
今年の正月、ブックオフ綿矢りさの「蹴りたい背中」をブックオフで105円で買ってきて1週間くらいで読んだら、なんか自分のいま書いている小説があまりにも井の中の蛙のような気がして嫌になり、小説は元来こんなものなのかと眼からウロコが出た気になった。
同時進行で保坂和志の「書きあぐねている人のための小説入門」も読んでいて、これまた当初はいやいや読みはじめたのだが、小説観が変わった。
変わったというより2004年あたりに書いていた3作へ原点回帰したおもいだった。
2005年から2008年までは視野の狭い、私小説を書いていた。
それが去年、新潮新人賞の高橋文樹の好きな小説として挙がっていた、大江健三郎の「ピンチランナー調書」のあとがきを読んだあたりから、私小説に疑念を持つようになった。
2004年の肩の力が抜けた、妄想系の不条理な喜劇風の小説群を忘れていたことに気づきだした。
保坂さんは厳しく真理をつくから、敬遠し嫌っていたのだろうか。
小説というフィクションのもつ力を長い間忘れていた。
いまでも保坂さんは苦手だが、それは自分に欠けているものをかれがもっているためだろう。
だから心をいれかえて小説を書きたくなった。
よっていつか「文藝」に投稿しようとおもっています。
と思ったら、文藝賞選考委員、保坂さん代わってますね。
藤沢周も代わって角田光代高橋源一郎が加わっている。
どうしよう。
う〜ん、困った。
左翼的自意識系の「群像」にでも送るか。
でも文芸誌はどんどん先細りする未来のない場所だろうし。
希望がない。
私が求めるのは小さなコミュニティにかすかにあるものでいい。
文芸誌的なおおきな希望は重荷だ。
でも文芸誌がこれからますますマイナーなものになれば(いまでも十分そうか)、いいだろうか。
落選続きのコミュニティなんかも案外にいいかもしれないけど。
とりあえず鎖国はこれくらいにして、2003年〜2004年に「文學界」「群像」に落ちた傷は癒えたことにしようか。
「文藝」「群像」路線で挑戦することにするか。
何年後かに。