「シンパイスルコトハナイ、チョクセツ、キミノ、ココロニ、ハナシカケテイル」
 黒いスカートから細い二本の足が伸びる少女の後をお下げ髪の少女が歩く。ピンクのビーズで留めた髪束を揺らし、ピンクのジャケットにピンクの靴下で新し目の高層マンションに消えてゆく少女を横目で見届ける。
「アオザメタネコ」
 少女はその足で自分の家とは距離のある広場に向かい始めた。家から最も近い公園にはほとんど行かない。
 町工場がひしめき合う一画にポッカリとある空き地にはお目当てのものはいなかった。
 廃工場のガレージが隣接したその広場に少女は赤く光る眼玉を見る。
 「キミノ、インモーノ、カズヲ、セーカクニ、ゼンブ、カゾエル」
 片目をピカピカ点滅させた屑鉄の塊は電子音みたいな声を出す。
「ワタシハ、ジューナナセーキニ、ツクラレタ、ニジューニセーキカラキタ、コロシヤ」
 首をキュルキュル回転さして顎の関節をキャシャーンキャシャーンと云わせる。
「ワタシハ、ジクーケーサツ、イッピキノネコヲ、コロシニキタ」
 バスタブに四肢を沈め、モクモクと湯気が立つ浴室に浮かぶ少女の容姿が青い猫を通して興奮した少年に伝わる様を、屑鉄人は明滅を続ける逆側の眼玉に映じてみせる。
 呆けたように見惚れていた少女はマジマジとそのカラフルな画像を見据える。
 顔は濛々たる蒸気で掻き消されてはいるものの、その細やかな美肌は鮮明に捉えられており、画像は縦横無尽に動き回り、秘所から秘所へと矢継ぎ早に切り替わる。
 この小さなユニット・バスに浸かっている妖艶な姿態を晒している少女は何者かしら。
 そろそろ陽が沈みかける広場の片隅で、少女はジャケットのポケットに両の手を突っ込んで冷え始めてきた空気に身構えながら画像に注視する。
 なにか見覚えのあるお風呂場なんだけどもな。
 ピシャッと映像が途切れる。
 ガーガーガーのノイズ音やらギューンギューンとハウリング音やら騒々しくけたたませながら屑鉄はオーバーヒートでも起したように白煙を出し出し、奇怪に踊り狂い出す。
 危ない!
 少女は咄嗟にその場を離れた。
 危機一髪だった。
 少女の鼓膜に物凄い爆発音がつんざいて、後ろを振りかえるいとまもなく強烈な爆風で吹っ飛ばされた。
 土ぼこりと粉塵のなか少女は恐怖のあまり抜け落ちた腰を両の腕で精一杯引きずって、舗装された道路を前へ前へと動かすと、縁石に捕まってグイッと力を込めて上体を起こし、膝を付きながらも起き上がった。
 砂利にまみれた口元をクッと手の甲で払いのけると、メラメラと燃え盛る炎の熱風が頬をさする。
 みるみるうちにそれは少女の顔を赤く染め上げ、火柱高く天を射す。
 何かに引火したのか次々とボンボン立て続けに爆発音が路地に響き渡る。
 少女は無我夢中に駆け出し、半身の姿勢で幾度か去り行く情景を確認しながら走るも、空を染める真っ赤な輝きが夕焼けであるのか爆発火災であるのか十分に判別できないまま、息せき切ってガムシャラに自宅に駆け込むしかなかった。
 ブルブル震えながら少女は自室に勢い良く入って、ドアを上手く加減できずに大きな音を立てて閉める。
 疲れ切った体をボンとスプリングの利いたベッドに横たわらせて、ジャケットもパンツもソックスも脱ぎ捨てて、股間に手を当てて冷静になるように努める。
 静かな時間が流れる。
 少女はそのまま下着もすべて剥ぎ取るようにベッドに散乱さして、バスルームへと向かう。
 シャワーヘッドからお湯をジャージャーと浴びせかける。
 昨日の汚れた残り湯をその間温め直して浸かる。
 サイレンの音はいつしか止んでいた。
 すっかり気が落ち着いた少女は目を閉じ瞑想に耽っていった。
「イッポン、ニホン、サンボン、ヨンホン、ゴホン、ロッポン、ナナホン」
 陽はとっぷりと暮れ果ててキッチンは静まり返っていた。
 濡れた体をバスタオルで拭いながら冷蔵庫に手をかけ、ミルクをマグカップに注ぎいれると、そのままレンジに仕掛けて、着替えを取りに自室に舞い戻った。
 早々に寝巻に着替える終えると、温めたミルクにたっぷりと砂糖を加え、夕刊を玄関口に取りに行って、再び自分の六畳あまりの部屋に取って返した。
 学習机の上に新聞紙を拡げて、ホット・ミルクを啜りながらざっと記事に目を通す。
 ポーンと新聞をベッドの上に放り投げる。
 ムチャクチャに荒らされた後のような散らかった衣服が山積している上に載っかる。
 テレビのリモコンに手をやりスイッチを押す。
 チャンネルを次々に換えていく。
 最近になって毎週欠かさず観ていたアニメ番組を忘れていあことに気づいて、大慌てで椅子をしっかりテレビと正対さして観始める。
 外は雨がシトシト降っている。
 退屈そうにテルテル坊主を眺めやる物憂げな少年。
 彼の背後にはニャーとは鳴かない毛がすべて抜け落ちてしまったかのようなツルツルの肌をした青い猫がいる。
 少年は窓を閉め、猫に向き直ると「はあ」と小さく溜息を一つ吐く。
「はあ」と二度目の溜息。
「はあ」と三度目の溜息をしたところで眉間に皺を寄せたような表情で青い猫が重い口を開く。
「どうしたの」
「はあ」四度目の溜息。
 いやいや、彼のこれまでの人生のなかで一体これほどまでに連続して溜息を吐いたことはいまだかつてあったであるか。
「はあ」五度目の溜息。
「ねえ、一体全体どうしたっていうのさ」
「はあ」
「はあ」
 猫までもが溜息を吐き、意気消沈している。
 この少年を悩まして止まないのは一本の変なヴィデオ・テープが原因らしかった。
 そのヴィデオ・テープには、少年が想いを寄せている少女のあられもない裸体が微に入り細に入り克明に記録されており、そればかりか見知らぬ少年がそのお宝映像で自慰行為を幾度もなく繰り返している様が淡々と綴られるといった内容なのだ。
 両親の目を掻い潜って一階のリヴィングで慌てて観た映像は、まだすべてを観終えずとも少年の精気を奪ってしまい途中で中止せざるをえなかった。
 小気味良いエンディング・テーマ、予告編、提供を空腹感に苛まされながら観終える。
 台所のカウンターで黒パンに齧りつく。
 応接室に明りが点いている。
 誰か帰ってきたのだろうか。
 風呂場のほうからガタゴト物音がする。
 脱衣場に立ちガラガラと折り畳み戸を開ける。
 浴槽にしっかり蛇腹の落とし蓋がしてある。
 ダイニング・テーブルの前の丸椅子に腰掛ける。
 引き戸一枚隔てた茶の間の柱時計がカッチカッチ時を刻む。
 所在無さ気に視線を漂わせる。
 炊飯器、トースター、電子レンジ、電気コンロ、電子グリル、冷蔵庫、洗濯機、置時計、給湯器、魔法ビン……
「はあ」溜息を吐く。
 席を立ち、応接間の戸を開ける。
 そこには少々スマートになった夕暮れ刻に遭遇した鉄人がアナログTVをソファに身をもたらし掛け観ていた。
「お邪魔していますよ、お嬢さん。さあ、どうぞ。そちらに腰をお掛けなさいな」
 少女は促されるままに相手と斜向かう革張りの黒いソファにポーンと乗っかる。
「おじさんはどこからきたの?」
「ははは、ご覧、お嬢さん」 
 そう鉄人は顎をテレビの方へ振ってみせる。視線は少女から一時も離さないままだ。
 大型のテレビには風呂場の映像が流されている。
 白の落とし蓋がガタガタ音を立てている。
 なにかが飛び出してきそうな勢いである。
「ブハハハハハ」
「おじさんはあそこからきたの?」
「きみは『青ざめた猫』の居場所を知っているね」
「うーん」
「ふふふ。いいんだよ隠し事なんかしなくてもさ。わたしは猫を殺そうとはしない。捕まえるだけだ」
「ほんと?」
「ほんとさ」
「でも」
「でもなんだね。えーい、まどろっこしい! わたしにはこーんなこともできるのだぞ!」
「えーん」
「その気になればなんだって!」
「やだーっ」
「やだとはなんだ、やだとは」
 泣きじゃくる少女を持て余し鉄人は、すごすごとその場を去り台所を抜け風呂場の浴槽の中にゴボゴボと沈んでいく。
 ヴィデオ・デッキの取り出しボタンを押して、120分テープを手中に収める。
 壁に思いっきり叩きつけて、裸足で何度も踏みつける。
「きえちゃえ! きえちゃえ!」
 静寂がこの家を包み込む。
 馴染みの書店で少年はコミックスを立ち読みする。
 入浴するカワイイ少女の絵が描かれている。
 ぺちゃんこの胸が少年の浪漫を高鳴らせる。
 少年はいきり勃った一物と爽快な心が零れ落ちてしまわぬように慎重にも慎重をきたして家路を急ぐ。
 このなみなみと注がれた「おらが春」を台無しにしてしまってはならねぇとばかりに伏目がちに小走りでスタスタと商店街のアーケードをすり抜けていく。
 一発ぶっ放すんだ。
 祭りだ祭りだ。
 わっしょい、わっしょい。
 昨日の新聞にデカデカと載っていた爆発事故の現場をずんずん進んで家にたどり着いた。
「にゃー」とは鳴かない青い猫が出迎える。
「シッ、シッ」と少年は猫を追っ払おうとするも二階の自室まで着いてきてしまう。
 やれやれと少年は、猫を後ろからはがいじめにして持ち上げると馴れた手付きで片足を使って押し入れのふすまを開けて猫を放り投げ、ピシャリと両手を使って勢い良く閉め直す。
 さてさてと両手をさすりながらあらかじめ出しておいた布団に潜り込む。
 しかし、日の光と屋外の無差別な視線が気になりカーテンを閉め、デスクのスタンドを枕頭に運んで明りを点け、本棚から少女のヌード写真がスクラップされた薄茶色の紙束を畳一面に並べ始める。
 そして、なにも貼られていないサラの紙に目を凝らし特殊な眼鏡を使って念写する。
 みるみるうちに先ほど記憶したばかりの裸身の少女が浮き出し立つ。
「おお、おお」
 少年はティッシュで尿道を綺麗にふき取って眼鏡を外す。
「おれは死んだほうがいいかもしれない」
 ふすまがガタガタ音を立てる。
「ピンポーン」
 チッ、誰も出やしねぇ……スーツを着込んだ鉄人は超高性能特殊知覚を駆使して周囲の些細な物音を仔細に分析する。
「うーん。ちょいと雑音が多いが……」
 カサカサと乾いた音質の中に高音の心洗われるような胸をくすぐる鈴の音が聴こえる。
 チャリン、チャリン。
「ふーん。やはりここにいるか」
 鉄人のリサーチでは標的の「ニャー」と鳴かない青い猫は赤い首輪に金の鈴を着けているのだ。
「ふむふむ。どうやらここの家の住人は留守のようだな」
 鉄人はグルッと首を一回転させ周囲をうかがうと、サッと姿を玄関前から消し、縁側にほうへ回る。
 狭い庭の隅にある物置を一瞥する。
 灰色の石塀から頭が出ないように屈んだ姿勢でヒョコヒョコとつま先立ちでゆく。
 片手の手首をグイッと上げて五本指がだらしなく上を向くと手のひらの付け根からビーと銀の鎖状の液がビュンビュン飛んで窓ガラスをドロドロ溶かし出す。
「へへ」
 得意げに鼻を鳴らし、鉄人は溶け始め大きくなる穴に手を突っ込んで手首をそらし、窓枠に取りつけてあった鍵を難無く開けてみせる。
「ほっほっほっ」
 ガラガラーッと窓を立て膝ついて両の手で開けると、そこはリヴィングだった。
 大型ブラウン管TVにヴィデオ予約が回っているデッキ、和風テーブルに座椅子。
 ハタと横を向けばのれんの先にダイニング・キッチンが広がる。
 納戸を開ければ座布団が山と積まれ、その脇にこぢんまりとした仏壇と神棚がまつってある。
「ふーん」
 鉄人はメモリーにそれらをストックしつつふすまを開けて、廊下に出る。
 洗面所は風呂場、お手洗いなどが密集するまえに上り階段がある。
 手すりにつかまりながら鉄人は一段一段静々と上がってゆく。
 先ほど見た、掛け軸や壺、兜などが気になり何回も何回も繰り返して記録した映像を見直す。
 敷居や鴨居の映像が物足りないことに不満で遠隔装置を使って家内の空間把握を高速で行うとプスプスと頭部から煙が立ち昇ってきた。
「アリャリャ」
 鉄人は機能停止におちいった。
 今夜もスヤスヤ寝ている。
 今日も少女は焼きイモの夢を見る。
 パクパクパクパク焼きイモを食べる。
 美味しい美味しい、もう食べられないよおー。
 ガバッと起きる布団の上に寝せられていた。
 いったいあれからどのくらいの時間が経ったのだろう。
 外はとっぷり陽が暮れているらしい。
 鉄人はガタガタ物音を立てている押し入れをふすまを勢い良く開け放つ。
 そこには青い猫が肉球を見せ見せ前脚を振り回している。
「うーん。こいつか。へへ。カワイイ奴め」
 早速、所属部署に脳内無線で連絡を取る。
「確保しました」
「んん」
 どうやら故障してしまったらしい。
 風呂なんぞに浸かっちまうからいけなかったか。
 防水機能はちゃんと作動していたはずなのだが。
 えーい、まあ好い。
 俺は俺であることになんら変わりはないのだからな。
 しかし、こいつの顔を見るとなにか得した気分になるのは俺だけだろうか。
 だが、情に流されちゃあいけない。
 こいつは大きな罪を犯したのだ。
 ブタ箱行きは当然のことなのだ。
 死刑にならないだけマシなのだ。
「ははは」
 力無く笑う。
 まだ笑う機能は正常みたいだ。
 しかし、体内転送装置はいかれちまっているらしい。
 あの廃工場に置いておいたマシンも爆発しちゃったし。
 とりあえず今夜はここにいることにしようか。
 自然治癒機能はまだまだ使えるかもしれないから。
 眠気はある。

 暗闇に仕切られた場所に薄っすらと浮かぶ我の心模様。
 ああ刹那の刻よ、その一刻一刻を大切に刻みたまえ。
 願わくば我の刻もそうではない刻も全てがそれで満たされておりますように……
 密室に閉じ込められた一匹の猫は就寝前のまどろみのなか、毎晩このような祈りを捧げて眠りに就くのを近頃の日課としていた。
 ふすま一枚隔てた先には監視役のロボットが規則正しくカッツカッツときびすを鳴らして反復運動を繰り返している。
 猫の耳は最早その音を完全にシャットアウトしており、柱時計のチックタック鳴る振り子のごとくに無視し慣れ親しんでいた。