ナショナリズムの行方

ファンタジスタ (集英社文庫)

ファンタジスタ (集英社文庫)

心の野球―超効率的努力のススメ

心の野球―超効率的努力のススメ

ローカルな忠誠心のまえに国家への忠誠が立ちはだかる。
サッカーの母国への応援はローカリズムなのか、ナショナリズムなのか。
村上春樹は他国同士のマイナーな戦いこそ注目に値するとシドニー五輪で感じたそうだが。
ユーロ2004のギリシャは最高に痛快だったが。
本田のゴールで思わず立ち上がったり、勝った瞬間なんども手を叩いたりするのはなんなのか。
ノーベル賞を日本人が獲ったときの興奮とかなんなのか。
そういう感情に素直に従えない複雑な心境というのはなんのか。
ふと冷静になったときの嫌悪感。
そこまではないか。
どこかさびしいものがあるような。
サッカーの話が出来る友人がただいないだけのことか。
村上龍は身近な自分たちの幸せがあればいいと、ナショナリズムを否定していたけど。
サッカーはそういう力があるのか。
星野智幸はファンタジスタでそれを作品化したのか。
高橋源一郎に現実味がないと突っ込まれていたが。
スポーツや海外の賞や人気はナショナリズムじゃないのか。
いまの日本にそれは成立しないのかも。
ローカルな繋がりしかない。
どこまでいってもマイナーな国、日本。
カウンターカルチャーとしての日本。
それが真の姿かも。
国家発揚のための運動なんてない。
韓国や中国とは違う。
ばらばらな国民がいるほうが健全だ。
国としてはそちらのほうが好都合かもしれんが。
しらけ世代なだけか。
ローカルな日本が少しでも世界で賞讃されたい、ということか。
そこに国粋主義はあとかたもないのか。
日本に誇りを持つ。
自分に誇りを抱く。
ここにナショナリズムはいらない。
ローカルな望郷しかない。
それらが対立したときが危険だ。
ちなみに豊田市は松井、長谷部らのミックスゾーンの音声が消え、長友の途中から話が聞こえた。
       *
きのうの朝日に桑田真澄、心の野球の広告が載っていた。
がむしゃらな努力を否定し、質のいい、堅実に努力する人にのみ成果が降りてくるとする。
これはアイマイまいんで笑顔を忘れ必死に頑張っていただけのクッキンアイドルと重なる。
量だけの読書をするよりも1冊をなんども読んだり、考えながら読んだほうがいいのか。
池田雄一さんも量より質と言っていたな。
大江健三郎もそうか。
やっぱり楽しんで努力したほうがいい。
楽しむの度合いが難しいが。
第三者の目が必要だろう。
それをイメージしながら書くことが重要。
そしてなにより笑ったり感動することが大切だ。
       *

村上ラヂオは左利きの東条英機の自殺の話とか、信頼はするが信用はしない、というのが長嶋茂雄の発言だったとか、1Q84に出てきた台詞を裏話がよく出てくる。
ツイッターがキャパオーバーでアクセス出来ず。
のーん。