夜の音せず

きのう6時45分ごろから書苑イケダに行きましたが、例の不快な夜の音はしませんでした。
注文していた神話が考えると小説の自由の文庫を買いました。
きのうは、福永信の星座から見た地球の発売日でしたが、そのときは気づかず。
波と図書と本の旅人の6月号と河出書房新社の目録をもらう。
福永さんの新作は波で知る。
川上未映子の新刊がオモロマンティック・ボム! から夏の入り口、模様の出口に変わったような。
むかし読めんかった本に再挑戦しようか。
虚構船団、虚人たち同時代ゲーム、アカシア、ヴァリス、これから話す物語、ユリシーズフィネガンズ・ウェイク、若い芸術家の肖像、失われた時を求めて、モロイ、謎の男トマ、重力の虹、審判、熱帯雨林の彼方へ、第三の警官、さかしま、リタ・ヘイワ―スの背信……などなど。
ほとんど定番ですな。
チョイ読みしてた逃走論、ヘルメスの音楽、構造と力、表層批評宣言、陥没地帯、探究、日本近代文学の起源なんかももっと読みたい。
もちろんニーチェ、バルト、フーコードゥルーズデリダあたりも。
本屋で仲正昌樹のNHKブックスのがなくなっていた。
物質的恍惚もなし。
下市場の精文館に水曜日行くか。
元町のツタヤで7月末まで旧作100円レンタルをやっているから通いたいもんだが。
どちらも自転車だな。
きのう中国の友人から電話。
1回目は龍馬伝真木よう子を観ていた。
2回目は海辺のカフカを読んでいて呼び出し音になかなか気づかず、間一髪のところで切れてしまった。
メールを出したら返事があり、月曜日にかけ直すとのこと。
なにか急ぎの用とか。
悪いニュースだろうか。
月の恋人のあとに電話をくれるよう返信した。
きょうの視点・論点(PM10:50)で平野啓一郎も参加したドイツの三島由紀夫シンポジウムの報告があるよう。
むかし群像に載っていた平野さんの金閣寺論は読むべきか。
買わなかったなあ。
倉数茂のゲームの終わり、始まりのゲーム(新潮2006・10)が読みたいなあ。
ブログやっててなんか意味あるんかなあ。
この昼の時間を読書や執筆、映画鑑賞に当てたほうがいいのか。
せめて音楽やラジオを聴きながらやるとか。
メルキドの売り上げに少しでも貢献しているのか。
でも金もうけのためにやっているわけじゃない。
自己満足か。
スコラのワークショップの善養寺さんは姉妹で参加しているのか。
将来国際的作家になったら文学フリマ大江賞みたいなことが出来ないか。
うざいだけか。
YMOや北野武、大江さんや春樹さんみたいないま活躍しているしているひとが亡くなったあと、これらを引き継ぐひとたちは出てくるのかな。
必ずだれか現れるか。
日本だけじゃなくアジアや世界から出てこればまあいいし、そんな怪物はもう不要なのかもしれんが。
ミクシィはてなツイッターでも無名であってもすごいひとはいっぱいいるしね。
将来みんなが芸能人化するのかな。
貴族や武士が衰退し、市民や国民が生まれたように。
無明長夜(むみょうちょうや)着。
1970年の発行。
早稲田文学掲載の歯を川上未映子は知っていたのか。
これでアマゾンで注文した書籍4冊すべて届いた。
どれも高めだったか。
古本屋を巡ればどれももっと安価に手に入れられただろう。
贅沢をしてしまった。
無明長夜も神田の大型古書店で手に取った記憶がある。
2001年に。
値段は忘れた。
もっと賢い買い物が出来んもんか。
どうも効率というか節約というかがうまくいかない。
無駄な買い物に碌すっぽしない読書と執筆。
これじゃあいい作家にはなれん。
睡眠時間が8、9時間あるのがあかんのか。
しかしこれくらい寝ないと日中眠くなるしなあ。
もうちょっとでいいからマシにならんか。
はあ〜、ポックン、ポックン。