1Q84 BOOK1 ようやっと読了

カーペンターズ・ゴシック

カーペンターズ・ゴシック

釘食い男

釘食い男

半年以上かけて読み終えました。
村上春樹のすごいところは、読んでいると自分だけの物語だと思ってしまうところだ。
青豆と天吾の純愛や新人賞批判としてのふかえりや。
自分に対するメッセージのように受け取ってしまう。
これはポストモダンなのか。
きのう中国の友人から電話があり、ポストモダンとはモダンやリアリズムやなんでもいいがなにか元になるものに、メタフィクションや平行世界などのポスト構造主義脱構築を施すこととか。
そのつなぎ目をどうみせるか、編集をどう活かすかが肝心だと。
芥川撮影賞から編集賞に移行するといいとか。
私だったら私小説というかモデル小説になにを足していくかが問題。
なにを混ぜるか。
そのつなぎ目を粗めにするか、それとも目立たないようにするか。
バースは荒く、ピンチョンはコーティングしている。
ただ読みやすいものではだめか。
読みやすいのはモダンか。
カフカの城のような、ベケットブランショの小説のような、ロブ=グリエやシモンのような。
こういうエクリチュール物。
これはポストモダンか。
ジョイスはある程度判りやすいか。
カーペンターズ・ゴシックや釘食い男。
これらはポストモダンか。
しかし1Q84と同じ土俵で勝負してはだめだ。
もっと違うアプローチで小説を書かないと。
いままで読んできた小説と同じことをやっていてはダメなのか。
普遍的なように思える小説の楽しさは継承したいが。
それらも拒否すべきか。
もっと実験性のあるものがいいような気もするが。
中国の友人には私の文章を副詞が少ない、語順が読みにくい、と指摘された。
正鵠を得た批評だ。
阿部和重は外部から操作できるものが虚構だ、というようなことを言っていたなあ。
文章の虚構性が足りんのか。
ある程度の読みにくさ、難解さは必要か。
文章自体は簡素なほうがいいような気もするが。
味わいのある深い文体のほうがいいか。
それら以前の文章の底の浅さを友人は伝えたかったんだろうが。
構成を凝らないと。
簡単なことをより難しく。
井上ひさしの逆。
佐々木敦テン年代はなにがなんだか判らないものが流行るといっていたが。
謎ではなく理解できるものがいいか。
安易な物語作家ではダメだ。
売れるひとはいいけど私がそれをやってもしょうがない。
文章と編集について考えないといけない。